ピトエフ夫妻(読み)ピトエフふさい

改訂新版 世界大百科事典 「ピトエフ夫妻」の意味・わかりやすい解説

ピトエフ夫妻 (ピトエフふさい)

フランスの俳優。夫ジョルジュGeorges Pitoëff(1884-1939)はむしろ演出家として優れる。ジョルジュはロシアのティフリス(現,トビリシ)の劇場支配人の子として生まれ,スタニスラフスキーダルクローズの教えを受けた後,1914年パリに出る。翌年ルドミラLudmilla(1895-1951)と結婚し,ジュネーブに移ってアマチュアを募り,はじめはロシア語で,やがてフランス語でチェーホフイプセンルノルマンなどを演じしだいに認められる。21年コポーに招かれてパリに進出し,23年ピランデロの《作者を探す六人の登場人物》で大成功を収めたほか,トルストイやストリンドベリなど近代劇の優れた紹介を行う。なかでもG.B.ショーの《聖ジョーン》(1925)では幼い頃から信仰に篤かったルドミラが演技を超えて神秘的な真実を体現し両大戦間屈指の悲劇女優とたたえられる。しかし劇団経営は苦しく,夫妻は常に貧困に追われながら,それを逆手にとって極度に簡略な舞台装置を内面的な演技・演出で補って外国なまりの障害を超えた詩的舞台を創造し,戯曲の内包する真実をみごとに啓示した。数多くの子どもの中でサッシャSacha(1920-90)は50年代より舞台と映画に活躍する俳優となった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のピトエフ夫妻の言及

【フランス演劇】より

…コポーの上演した新しい劇作(J.ルナール,クルトリーヌ,クローデル,C.ビルドラック《商船テナシティ》)や古典(モリエール,シェークスピア喜劇)に比べると,その弟子であったジュベ,デュラン,ロシアから来たピトエフ,ドイツ表現派との接点を作るバティの〈カルテル四人組〉による文学戯曲の上演ははるかに多彩である。ジュベがJ.ロマン(《クノック》),M.アシャール(《お月さまのジャン》),J.コクトー(《地獄の機械》),そして演出家と作家の協力の記念碑となるJ.ジロードゥー(《トロイ戦争は起こらないだろう》《オンディーヌ》)を経てサルトル(《悪魔と神》)を,デュランがL.ピランデロ(《御意にまかす》)からA.サラクルー(《地球は丸い》),サルトル(《蠅》)に至る多彩な作家の初演(ピランデロ作品はフランス初演)を果たしたのに対し,ピトエフ(ピトエフ夫妻)は,クローデル(《交換》)や初期のJ.アヌイ(《荷物なき旅行者》)等を除けば,主としてチェーホフ(《かもめ》),ピランデロ(《エンリコ4世》),イプセン(《人形の家》),F.モルナール(《リリオム》),G.B.ショー(《セント・ジョーン》)等の外国作家を紹介し,またバティはガンティヨンSimon Gantillon(1887‐1961。《娼婦マヤ》)などマイナーな作家で成功を収めた。…

※「ピトエフ夫妻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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