ピンク・フロイド(読み)ピンクフロイド

百科事典マイペディアの解説

ピンク・フロイド

イギリスのロック・グループ。シド・バレットSyd Barrett〔1946-2006〕,ロジャー・ウォーターズRoger Waters〔1944-〕を中心とした4人で1967年デビュー。サイケデリック色の濃い作品を発表するが,1968年バレットが精神病で脱退,デビット・ギルモアDavid Gilmour〔1944-〕が加入。インストゥルメンタルな大作指向となり,《原子心母》《狂気》などを発表。特に1973年の《狂気》は現在までに2000万枚を売り,プログレッシブ・ロックを代表するバンドになった。その後ウォーターズがソロに転向,バンドは現在も3人で活動を続ける。
→関連項目ヒプノシス

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ピンク・フロイド
ぴんくふろいど
Pink Floyd

イギリスのロック・グループ。キング・クリムゾンと並びプログレッシブ・ロックを象徴してきたバンドであり、同時に、プログレッシブ・ロックの歴史のなかでもっとも商業的成功を収めた人気バンドの一つでもある。音響アートとしての実験性、革新性を誇りながら、親しみやすさもあわせもつ絶妙なバランスは、彼らだけのものだ。深い陰影と浮遊感に富んだ音づくり、アート集団ヒプノシスによる幻想的で創意に富んだジャケット・デザイン、含蓄のあるアルバム・タイトルや曲名、ライティングや巨大オブジェなどを積極的に活用したスペクタクル性の高いライブ・パフォーマンス等々、シュルレアリスティックで幻想的な総合演出の抜群のうまさこそが、彼らの成功の鍵(かぎ)だった。
 1965年、ロンドンのリージェント・ストリート建築工芸学校の生徒たちによるアマチュア学生バンド、シグマ6のロジャー・ウォーターズRoger Waters(1944― 、ボーカル、ギターのちベース)、ニック・メーソンNick Mason(1945― 、ドラム)、リチャード・ライトRichard Wright(1945―2008、ボーカル、キーボード)に、別の美術学校に在籍していたシド・バレットSyd Barrett(1946―2006、ボーカル、ギター)らが加わって、ピンク・フロイド・サウンドというグループが誕生した。そのバンドはチャック・ベリーなど黒人音楽をカバーしていたが、やがてメンバーはウォーターズ、メーソン、ライト、バレットの4人に落ち着き、ウォーターズはギターからベースにかわり、バンド名をピンク・フロイドとする。彼らは当時のサイケデリック・ムーブメントに影響を受けたオリジナル曲を演奏し、UFOクラブやマーキー・クラブといった当時のロンドンのアンダーグラウンド・シーンを拠点に、サイケデリックなライティング等を取り入れた奇抜なパフォーマンスを繰り広げた。
 1967年にEMIコロンビアと契約を結び、「アーノルド・レーン」「キャンディー・アンド・ア・カレント・バーン」などのシングルを発表し、同年デビュー・アルバム『夜明けの口笛吹き』を発表、全英6位まで上がるヒットを記録した。だが、大半の曲をつくり、ボーカルを担当していたリーダー格のバレットが、薬物の影響もあってこのころから神経衰弱状態に陥ったため、バレットの旧友だったデビッド・ギルモアDavid Gilmour(1947― 、ボーカル、ギター)を新メンバーに招いたが、その後バレットは脱退。以後、ウォーターズをリーダー格にして、4人で活動を続けてゆく。バレットは70年に、ピンク・フロイドのメンバーのサポートを受けた2枚のソロ・アルバム『帽子が笑う…不気味に』『その名はバレット』をリリース後、音楽活動を停止した。
 ピンク・フロイドは1968年にセカンド・アルバム『神秘』をリリース。ミュージック・コンクレート的手法も取り入れ、前作とは趣(おもむき)の異なる同作の宇宙的で前衛的なサイケデリック・サウンドは、その後のピンク・フロイドの原点となった。さまざまなサウンド・エフェクトやテープ処理などの実験が行われた2枚組アルバム『ウマグマ』(1969)などを経て、70年に出した第5作『原子心母』では、A面全部を使って金管楽器や合唱団を入れた24分ものロック・シンフォニーを展開した。しかもジャケットは文字をいっさい入れず牛の写真のみという大胆なものだった。このアルバムで、ピンク・フロイドは独自のバンド・イメージを確立すると同時に、プログレッシブ・ロックの最前衛としての評価を決定づけた。「プログレッシブ・ロック」ということばが音楽市場に流通し始めたのも、同作がきっかけだった。そして、73年に出した通算8作目『狂気』は、ついに全米ヒット・チャート1位を獲得し、以後15年間(724週)にわたりチャートのトップ200以内に居座り続けるという空前の大ヒットを記録した。
 しかし1975年の『炎』あたりから、歌詞にダイレクトで現実的なメッセージ性を出し始め、続く77年の『アニマルズ』や79年の『ザ・ウォール』では、サウンドもよりシンプルでわかりやすいものとなり、以前のような幻想性は薄れていった。そして81年にライトが脱退したあたりからバンドの結束は急速に弱まってゆき、ウォーターズのソロ・アルバムに近い83年の『ファイナル・カット』を経て、85年ウォーターズも脱退。86年以降は、ギルモアとメーソンだけでピンク・フロイドを名のり、活動を続けているが、94年の『対(TSUI)』や、ほかのアルバムやライブにしても「神秘的で哲学的なピンク・フロイド」をいかにゴージャスに演じきるかということを至上命令にしたかのような、軽薄に様式化されたものとなってしまった。[松山晋也]

その後の動き

2005年に開催されたチャリティ・イベント「ライブ8」で再結成し、復活ライブを行う。06年にバレットが死去するとロンドンで追悼コンサートを行った。[編集部]
『『地球音楽ライブラリー~ピンク・フロイド』(2002・TOKYO FM出版)』

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