日本大百科全書(ニッポニカ) 「キング・クリムゾン」の意味・わかりやすい解説
キング・クリムゾン
きんぐくりむぞん
King Crimson
イギリスのロック・グループ。プログレッシブ・ロックの扉は1960年代後半にムーディー・ブルースやピンク・フロイドなどによって開かれたが、それを一気に一つの新しいジャルンとして確立し、多くの追随バンドを生み出し、プログレッシブ・ロック・シーンの象徴として君臨し続けたのがキング・クリムゾンである。リーダーであるギタリストのロバート・フリップRobert Fripp(1946― )は、批評家がプログレッシブ・ロックを過剰に大仰で、クラシックやジャズに対するコンプレックスを丸出しにした形式主義の音楽と規定し、キング・クリムゾンをその代表のように扱うことを完全に拒否してきたが、フリップのそのようなスタンスやシリアスな言動も含め、キング・クリムゾン信仰は根強い。1969年のデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』で、それまでのロックにはなかった広大深遠な世界を提示し、それを発火点として、ロック・ミュージックの表現が一気に拡張された。
キング・クリムゾンは、イギリス南端の港町ボーンマスで、マイケル・ジャイルズMichael Giles(1942― 、ドラム)およびピーター・ジャイルズPeter Giles(1944― 、ベース)の兄弟とフリップによって1967年に結成されたジャイルズ・ジャイルズ&フリップを母体として、1968年に誕生した。ジャイルズ・ジャイルズ&フリップは、1968年にユーモラスでビザール(奇怪)な前衛ポップ・ロックのアルバム『ザ・チアフル・インサニティ・オブ・ジャイルズ、ジャイルズ・アンド・フリップ』をデラムから発表したが、不発。ピーター・ジャイルズの脱退と前後して、イアン・マクドナルドIan McDonald(1946―2022、サックス、フルート、キーボード)、グレッグ・レークGreg Lake(1948―2016、ボーカル、ベース)、そして作詞とライブでのライティング担当のピート・シンフィールドPete Sinfield(1943― )が加わって、キング・クリムゾンと名前を変え、デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発表。「バルトークとコルトレーンと『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』の向こう側に何か新しい世界がある」を合いことばに制作されたこのアルバムは、クラシック音楽の壮大かつ複雑な構成法やフリー・ジャズの自在さなどをロックに導入した前代未聞の実験的サウンドが大評判となり、全英アルバム・チャートの5位まで上がるヒットを記録した。
しかし直後のアメリカ・ツアー終了と同時にマイケル・ジャイルズとマクドナルドが脱退、レークも新たにエマーソン・レーク&パーマーの結成を表明し、キング・クリムゾンは解散の危機に瀕(ひん)するが、以後、アルバムごとにフリップ以外のメンバーを次々と入れ替えながら活動を続けていくことになる。1975年の最初の解散までにキング・クリムゾンに在籍したミュージシャンには、ボズ・バレルBoz Burrell(1946―2006、ボーカル、ベース)、メル・コリンズMel Collins(1947― 、サックス)、デビッド・クロスDavid Cross(1949― 、バイオリン)、ジェイミー・ミューアJamie Muir(パーカッション)、ジョン・ウェットンJohn Wetton(1949―2017、ボーカル、ベース)、キース・ティペットKeith Tippett(1947―2020、ピアノ)、イアン・ウォーレスIan Wallace(1946―2007、ドラム)、ビル・ブルフォードBill Bruford(1949― 、ドラム)などがいる。
2作目以降の作品は発表順に『ポセイドンのめざめ』『リザード』(ともに1970)、『アイランド』(1971)、『アースバウンド』(1972)、『太陽と戦慄(せんりつ)』(1973)、『暗黒の世界』『レッド』(ともに1974)、『USA』(1975)で、このうち『アースバウンド』と『USA』はライブ盤である。そのライブ音源にはとくによく表れているが、1970年代のキング・クリムゾンの演奏はインプロビゼーションを多用したもので、その集団即興的アンサンブルは、1990年代後半以降脚光を浴び始めたアメリカのジャム・バンド・シーン(ときにジャズ的即興の手法も導入しつつ、伸縮自在なセッションとしてフレキシブルに演奏を展開するミュージシャン/バンドの総称)を20年先取りしたものである。同時にフリップの剛毅(ごうき)なギターを中心にした、むだのないヘビー・メタリックなサウンドは、1980年代以降のヘビー・メタルやハードコアやグランジ、あるいは一部のインダストリアル・ミュージック系ロックに重要なインスピレーションを与えた。
1975年のキング・クリムゾン解散後、フリップは、フリッパートロニクス(2台のテープレコーダーによるテープループを用いたギターの持続音システム)によるブライアン・イーノとの共作『イブニング・スター』(1975)や、『エクスポージャー』(1979)ほかのソロ・アルバムを発表し、またデビッド・ボウイ、ピーター・ゲイブリエルPeter Gabriel(1950― )、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、トーキング・ヘッズなどの作品でのセッション活動を続けた。そして1981年ブルフォード、ギターのエイドリアン・ブリューAdrian Belew(1949― )、ベース、スティック(ベースに似た竿(さお)状の楽器で、10本の弦が張られている。ネックは通常のギター類の倍以上の幅があり、ハンマリングやタッピングで音を出す)のトニー・レビンTony Levin(1946― )とともに新バンド、ディシプリンを旗上げし、それはすぐにキング・クリムゾンと改名された。この4人は、3枚のアルバム『ディシプリン』(1981)、『ビート』(1982)、『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』(1984)で、おもにポリリズム(複数のリズムが並行して演奏されたもの)とミニマリズムを軸とした微細なアンサンブルの実験を繰り広げた後、ふたたび解散。しかし1990年代に入り、フリップはキング・クリムゾンを再結成し、メンバーは、フリップ、ブリュー、レビン、ブルフォードにトレイ・ガンTrey Gunn(1960― 、ベース、スティック)、パット・マステロットPat Mastelotto(1955― 、ドラム)を加えた計6人となった。ギター、ベース、ドラムが各2人ずつのダブル・トリオという特殊な編成によるアンサンブルは、音のずれを生かしたきわめて即興性の高いもので、ミニ・アルバム『ブルーム』(1994)およびアルバム『スラック』(1995)は、またしてもロック・ミュージックとしての新しい可能性を感じさせたが、結局ブルフォードとレビンが脱退。残った4人は、2000年ごろから「ヌーボー・メタル」という新しいコンセプトを掲げ、複雑なリズム・アレンジとヘビー・メタルのテイストを調和させたアルバム『ザ・パワー・トゥ・ビリーブ』(2003)などを発表している。
[松山晋也]