日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーソン」の意味・わかりやすい解説 メーソンめーそんLuther Whiting Mason(1818―1896) アメリカの音楽教育家。東部のメーン州の人。主として独学で音楽を学び、その体験から旋律や和声の段階的学習過程を考察した。ボストンで小学校の音楽教育を教材のくふうを通して実践していたとき、アメリカ留学中の伊沢修二と出会い、1880年(明治13)来日した。文部省雇外国人教師として1882年まで約2年半滞在する間に、唱歌作曲、教材作成、和声法教授、楽器知識伝授などを盛んに行って、日本における西洋音楽導入期に多大の功績を残した。[山口 修 2018年8月21日][参照項目] | 伊沢修二 | 音楽教育 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーソン」の意味・わかりやすい解説 メーソンMason, Max [生]1877.10.26. ウィスコンシン,マディソン[没]1961.3.23. カリフォルニア,クレアモントアメリカの数理物理学者。ウィスコンシン大学卒業。 1903年ゲッティンゲン大学から学位取得。マサチューセッツ工科大学講師 (1903~04) ,シェフィールド理科学校助教授 (04~08) を経て,ウィスコンシン大学数理物理学教授 (08~25) 。シカゴ大学総長 (25) 。ロックフェラー財団理事となり (28) ,同財団会長 (29~36) 。微分方程式に関する数学的研究,電磁気学の理論研究に活躍したほか,第1次世界大戦中になした潜水艦探知器の発明も知られている。研究,教育のための行政的手腕にすぐれ,パロマ天文台設立も彼の指導下でなされた。主著『ニューヘーブン数学会議』 The New Haven Mathematical Colloquium (1901) 。 メーソンMason, James Murray [生]1798.11.3. バージニア,ジョージタウン[没]1871.4.28. バージニア,アレキサンドリアアメリカの政治家。バージニアの政治家 G.メーソンの孫。 1837~39年連邦下院議員,47~61年連邦上院議員。民主党内の南部派として知られ,50年の逃亡奴隷法を起草。 61年南北戦争が始ると南部連合の外交使節としてイギリスへ派遣された。このとき乗船したイギリス商船『トレント』号で航海中,北部の連邦軍艦により逮捕された。この「トレント号事件」 (1861.11.) をイギリスは現行国際法に違反する行為として激怒し,イギリスと北部との外交危機を招いた。 62年1月1日釈放され,イギリスで南部のために奔走した。 メーソンMason, George [生]1725. バージニア,フェアファックス[没]1792.10.7. バージニア,フェアファックスアメリカの政治家。バージニア権利章典起草者として有名。 1749年オハイオ会社の設立に参加し西方領土への進出に関心を示す。アメリカ独立革命に際しては愛国派の指導者として活躍。 76年のバージニア邦憲法の起草にあたり,その前半部に権利章典を執筆。 76~80,86~88年バージニア邦議会議員。特に信教の自由確立のために努力。 87年合衆国憲法制定会議にバージニア代表として参加したが,88年の憲法批准会議では,権利章典の欠如や関税,奴隷問題での妥協などの点で批准に反対した。彼の意図は連邦憲法修正第1~10条 (いわゆる権利章典) のなかで生かされた。 メーソンMason, Luthur Whiting [生]1828.4.3. メーン,ターナー[没]1896.7.14. バックフィールド明治期の日本で活躍したアメリカ人の音楽教師。ボストンで初等科音楽教育に実績を上げ,訪米した日本政府文部官僚らの尽力で,1880年3月文部省音楽取調掛雇として招聘され,西洋音楽の伝習,唱歌の編纂に従事。 82年7月,雇用期間の延長を断って帰国し,解任となったが,日本での再就職を熱望していた。死去の年,勲四等を贈られた。 メーソンMason, John Young [生]1799.4.18. バージニア,グリーンズビル[没]1859.10.3.アメリカの政治家,外交官。 1831~37年連邦下院議員,44,46~49年海軍長官,45~46年連邦司法長官。 53~59年フランス駐在大使。 54年 10月 J.ブキャナン,P.スーレーとともに,奴隷州拡大をねらってキューバの割譲を主張したオステンド宣言に署名。 メーソンMason, John [生]1586. ノーフォーク[没]1635.12. ロンドンイギリスの植民地領主,ニューハンプシャーの建設者。 1615~21年ニューファンドランド総督。 22年 F.ゴージェズとともにイングランド国王よりニューイングランドに広大な土地を与えられたが,2人は 29年この土地を2分することに合意,メーソンは引受けた地域をニューハンプシャーと名づけて,その植民,開発に努めた。 メーソンMason, Lowell [生]1792.1.8. メドフィールド[没]1872.8.11. オレンジアメリカの賛美歌作曲家。独学で音楽を学び,ボストンのヘンデル・ハイドン協会の会長をつとめ (1827) ,またボストン音楽大学を創立 (32) 。彼の作った多くの賛美歌は今日でも広くアメリカ人に愛唱されている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報