ブトルスアルブスターニー(その他表記)Buṭrus al-Bustānī

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ブトルス・アルブスターニー
Buṭrus al-Bustānī
生没年:1819-83

アラビア語への知識を深め,愛情を喚起することに生涯を捧げた啓蒙的な人文主義の民族主義者。レバノンのマロン派キリスト教徒の名門に生まれた。アメリカのプロテスタント宣教師らと協力して,近代学術への目を開きながら,ナーシーフ・アルヤージジーとともに近代思想典雅なアラビア語で表現することに努力した。1863年ベイルート郊外に〈国民学校〉を創設し,70年には学術文芸誌《ジナーン》,政治評論紙《ジンナ》を発行して,一群文筆家を養成するのに貢献した。聖書をアラビア語に訳したほか,アラビア語大百科事典を企画,執筆中に没した。祖国愛こそ第一の信仰箇条であることを説いた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ブトルス・アル・ブスターニー
ぶとるすあるぶすたーにー
Burus al-Bustānī
(1819―1883)

アラビアの文学者。ブスターニー家は多くの文化人・宗教人を輩出させたマロン派の名門。レバノン山村の生まれ。語学の才にたけ、アラム語、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語を次々と習得。マロン派の司教を志し、宗教学を深めて母校アイン・ワラカ校で教鞭(きょうべん)をとるかたわら、多くの翻訳、教科書編纂(へんさん)にもあたり、また『旧約聖書』のアラビア語訳を出版する企画に参加し、貢献した。また、『ムヒート・アル・ムヒート』(1869)という辞書の編者としても名高い。これは、近代科学に使われるテクニカル・ターム(専門用語)を多く取り入れた点など、従来の辞書にない画期的な特徴をもったものである。さらに『ダーイラ・アル・マアーリフ』という百科全書の編纂に着手し、第六巻まで書き上げたことでも不朽となった。彼の遺志は息子のサリームによって引き継がれ、さらに彼の一族の学者たちの手によって後年第11巻で完成をみた。このほか、文芸誌の編集でも活躍し、アラブの文芸復興にも貢献している。

[奴田原睦明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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