プレスリー(読み)ぷれすりー(英語表記)Elvis Presley

デジタル大辞泉 「プレスリー」の意味・読み・例文・類語

プレスリー(Elvis Presley)

[1935~1977]米国の歌手。1950年代半ばに登場。カントリー調・ブルース調など多彩なロックンロールを、甘い美声で時に激しく歌い、「ハートブレークホテル」「ラブ‐ミー‐テンダー」など数多くの大ヒットを生んで、ロック王様と称された。

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精選版 日本国語大辞典 「プレスリー」の意味・読み・例文・類語

プレスリー

  1. ( Elvis Presley エルビス━ ) アメリカのロックンロール歌手、映画俳優。「ハートブレイク‐ホテル」などの大ヒット曲でトップスターとなり、ロックの王様と称される。(一九三五‐七七

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改訂新版 世界大百科事典 「プレスリー」の意味・わかりやすい解説

プレスリー
Elvis Presley
生没年:1935-77

アメリカの大衆音楽が生んだ戦後最大のスター。南部黒人音楽の中心地メンフィスで貧しい白人労働者家庭に育ち,黒人のリズム・アンド・ブルースをまねて歌ったのが,ロックンロールの創始者の一人としての栄光につながった。1954年に初めてのレコードザッツオールライト・ママ》を録音した。それがきっかけで広く認められ,56年に《ハートブレーク・ホテルHeartbreak Hotel》の大ヒットを放ち,ロックンロールのブームを世界中に巻き起こした。その後も《冷たくしないで》《ラブ・ミー・テンダー(やさしく愛して)》などの大ヒットを連発。58年から60年までの兵役による活動中断後は映画出演が多くなり,歌手としても幅広い層を狙った保守的な行き方へと転換した。すでに映画界へは1956年《やさしく愛して》でデビューしていたが,60年代にはドン・シーゲル監督による《燃える平原児》(1961)のほか,ヒット曲をからめた《ブルー・ハワイ》《ガール!ガール!ガール!》《ラスベガス万歳》など多くに出演した。これらの多くは明るく健康な好青年が,恋と冒険に活躍する単純なストーリーで,興行的には成功したものの,しだいに衝撃力が弱まった観があった。しかし,68年以降,テレビの特別番組や,ラスベガス・インターナショナル・ホテルのショーで成功を収め,同じショーを記録した映画《エルビス・オン・ステージElvis On Stage》(1970),ホノルル公演の世界宇宙中継など華やかな活動で王者復活の話題をまいた。しかし過酷なスター生活のなかで健康をむしばまれ,42歳で死去した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プレスリー」の意味・わかりやすい解説

プレスリー
ぷれすりー
Elvis Presley
(1935―1977)

アメリカのポピュラー・ロック歌手、映画俳優。ミシシッピ州テュペロ生まれ。13歳のときテネシー州メンフィスに移り、同地の高校卒業後トラック運転手をしていたが、1954年サン・レコードに迎られ、カントリー歌手として注目され始めた。55年には全米的なヒットが出て大手のRCAレコードに移り、56年初め『ハートブレイク・ホテル』が大ヒットしてセンセーショナルな評判となり、ロックン・ロール歌手として一躍トップ・スターの座についた。同年『やさしく愛して』で映画にもデビュー。彼はロックを若者の文化として社会に定着させる基盤を築いた人で、ロックの王者と称されている。兵役を終えた60年からは間口を広げ、異色の個性をエンタテイナーとして発揮した。ラス・ベガスのホテルに出演したときの記録映画『エルビス・オン・ステージ』(1970)にその一面をみせている。

[青木 啓]

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百科事典マイペディア 「プレスリー」の意味・わかりやすい解説

プレスリー

米国のポピュラー歌手,映画俳優。ミシシッピ州生れ。幼いころから黒人音楽の影響下に育ち,カントリー・ミュージックリズム・アンド・ブルースをもとに,いわゆるロックンロールの創始者の一人となった。《ザッツ・オール・ライト・ママ》でデビュー,《ハートブレーク・ホテル》でトップスターとなる。《ラブ・ミー・テンダー》(1956年)以来多くの映画に主演。戦後の米国の最大のスター。
→関連項目ビートルズメンフィスロカビリーロック

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プレスリー」の意味・わかりやすい解説

プレスリー
Presley, Elvis

[生]1935.1.8. ミシシッピ,テューペロ
[没]1977.8.16. テネシー,メンフィス
アメリカを代表するロックンロール歌手。幼少期より南部の黒人音楽であるブルースに親しむ。トラックの運転手をしながら,自費でレコーディングしたものを,リズム・アンド・ブルースを黒人のように歌える白人歌手を求めていたサン・レコードの社長に見出され,1954年にレコードデビュー。1954年に吹き込んだ『ザッツ・オール・ライト・ママ』がヒットして一躍有名になる。1955年 RCAレコードに移籍,1956年に発売された『ハートブレイク・ホテル』でロックンロールスタイルを確立。以後ロックンロール流行の波に乗り,「ロックの王者」と呼ばれた。1956年『やさしく愛して』で映画デビュー。ヒット曲をからめた『ブルー・ハワイ』など数多くの作品に出演した。1960年代半ばに人気は下火となったが,1969年から再び歌と映画にカムバック。活躍が期待されたが,42歳の若さで急死した。

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世界大百科事典(旧版)内のプレスリーの言及

【ジャズ】より

…50年代半ばには,白人のカントリー・ミュージックと黒人のリズム・アンド・ブルースが合成されてロックンロールrock’n rollが生まれる。さらにカントリー歌手エルビス・プレスリーが,よりカントリーの要素を強めてロカビリーrockabilly(rockとhill‐billyの合成語。ヒルビリーはカントリー・ミュージックないしその泥臭いものをいう)をつくり出し,黒人世界よりもはるかに広い聴衆を獲得することになる。…

【ロック】より

…監督リチャード・ブルックス)に用いられたのがきっかけで,大ヒットとなった。 54年にはまた,エルビス・プレスリーも最初のレコードを出した。彼は当時,南部の黒人音楽の中心地メンフィス市で電気会社の運転手をしていたが,地元の小さなレコード会社から《ザッツ・オール・ライト・ママThat's All Right,Mama》を出した。…

※「プレスリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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