ホテル(読み)ほてる(英語表記)hotel

翻訳|hotel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホテル」の意味・わかりやすい解説

ホテル
ほてる
hotel

欧米で誕生し国際的に普及した宿泊施設のこと。宿泊施設の基本的な機能は、旅行者に飲食と睡眠、さらに生命・財産の保護にかかわるサービスを提供することである。旅行の歴史は古い。したがって、宿泊施設の歴史も古い。最初は野宿であったに違いない。しかし、野宿は危険なため、やがて民家に泊めてもらう民泊が行われるようになった。交通路が整備され旅行が盛んになると、料金を受けて旅行者を宿泊させる宿泊業が生まれた。当初は最低限の機能をもつ施設であったが、しだいに充実し、なかには特権階級や富裕階級を対象に質の高い施設とサービスを提供するものも現れた。

[岡本伸之]

世界のホテル

起源

宿泊施設を意味する名称として「ホテル」を用いた最初の施設がいつどこで誕生したかは定かでない。しかし、いくつかの手掛りを総合すると、18世紀末の欧米と考えてよいように思われる。ホテルということばの語源は古代・中世フランス語のhostelで、宿泊所のほか大邸宅や公共の建物を意味した。hostelはやがてsが消えてホテルとなった。フランス語ではオテルhôtelであり、現在でもフランスでhôtel de villeといえば市役所を意味する。その「ホテル」が高級宿泊施設を表す名称として用いられたのである。イギリスでは中世以降インinnとよばれる宿泊施設が普及したが、ホテルはインとは異なる語感、すなわち近代的で高級、大規模な宿泊施設を表す名称として広く使われるようになり、日本を含めて国際的に一般化するようになった。インは小規模で家庭的な雰囲気であることを示唆する名称として、現在でも用いられている。

 ホテルは、19世紀のなかば以降、とりわけ19世紀末から20世紀初頭にかけて、パリ、ロンドンニューヨークといった欧米の大都市、さらに王侯貴族や新興の富豪が夏の間、避暑と社交を目的として集まったドイツのバーデン・バーデン、モナコのモンテ・カルロといったリゾート地に建設され、施設とサービスの両面において現代の高級ホテルの原型となった。1862年、花の都パリのオペラ座そばに開業したグランド・ホテル(現在のインターコンチネンタル・パリ・ル・グラン)は、絢爛(けんらん)豪華であることが広く知られるようになり、それにあやかろうと、その後、世界の都市でその町一番の高級ホテルを「○○グランド・ホテル」と命名することが習わしとなった。

[岡本伸之]

リッツとエスコフィエ

そうしたなかで、高級ホテルの運営のあり方に決定的な影響を及ぼした人物がスイス出身のホテルマン、リッツCésar Ritz(1850―1918)と、フランス人の料理長で「料理人の王様か、王様の料理人か」とうたわれたエスコフィエGeorges Auguste Escoffier(1846―1935)の2人である。リッツはホテルマンになることを志し、スイスの片田舎(いなか)からパリへ出て、レストランの給仕を振り出しに、やがて世界の王侯貴族や新興の富豪の愛顧を得る人物となった。リッツとともに仕事をしたエスコフィエは、数々のフランス料理を創作し、彼が著した料理教本(『エスコフィエ フランス料理』角田明訳、1969・柴田書店)は現在でもフランス料理のバイブルとされている。

 リッツとエスコフィエが投資家の要請を受けて開発したホテルの多くは、ロンドンのサボイThe Savoy(1889年開業)やパリのリッツLe Ritz(1898年開業)のように、現在でも高級ホテルとして健在である。これらのホテルは、高額な室料と総支配人の目が行き届く規模に抑えた室数で、王侯貴族の生活様式を彷彿(ほうふつ)とさせる豪華な施設と顧客の期待を凌駕(りょうが)するサービスを提供し、世界の高級ホテルの模範となった。エスコフィエが創作した料理は、当時の人気オペラ歌手メルバのためにつくったピーチ・メルバやメルバ・トーストのように、その多くが現在でも世界のホテルのメニューに登場している。世界の高級ホテルがフランス料理を基本としているのは、エスコフィエの影響による。また、フォーシーズンズと並んで国際的な高級ホテル・チェーンとなっているザ・リッツ・カールトンは、リッツの名前と、リッツがエスコフィエとともに成功させたロンドンのカールトン・ホテルの名前をブランド・ネームに組み込むことによって、質の高さを象徴することに成功している。

[岡本伸之]

ホテル経営の近代化

リッツやエスコフィエによるホテルは、王侯貴族のための高料金ホテルであったが、20世紀に入るとアメリカで、一般庶民でも負担できるような料金で、しかも十全な機能を備えたホテルが開発されるようになった。その背景としては、産業活動の活発化によって商用旅行が盛んとなり、便利で快適な設備とサービスを提供するホテルに対する需要が高まったこと、一方、企業側では規模の経済を追求するための大量生産・大量販売の仕組み、具体的にはチェーン経営の手法によって料金の引下げが可能になったことがあげられる。のちに「近代ホテル王」と賞賛されたスタットラーEllsworth Milton Statler(1863―1928)は、1908年にニューヨーク州バッファローでスタットラー・ホテルを開業して大成功を収めた。その後スタットラーは全米の主要都市で1000室規模の大規模ホテルを次々に建設し、近代的なホテル経営の模範となった。

 スタットラーはホテル経営に科学的管理法を導入し、人材育成のためにコーネル大学に多額の寄付を行い、現在同大学ホテル経営学部を筆頭に全米の100を超える4年制大学がホテル経営教育を含むホスピタリティ教育(対人接客サービスを伴う職業に従事するための教育)を提供することになる端緒を開いた。そうしたアメリカにおけるホテル経営の伝統を継承したのが、みずからも数々の革新的な業績を残したヒルトン・チェーンの創始者コンラッド・ヒルトン、世界最大規模の高級ホテル・チェーンとしてのシェラトンを築いたヘンダーソンErnest Henderson(1897―1967)であった。第二次世界大戦後は、マリオットJhon Willard Marriotto(1900―1985)が創業したマリオット、プリツカーJay Pritzker(1922―1999)が創業したハイアット、さらにウェスティンなどのホテル・チェーンが台頭し、アメリカのホテル企業が国際的に躍進している。ヨーロッパではホテルのチェーン化が遅れたが、現在では、ノボテルやソフィテルなど複数のホテル・チェーンを擁するフランスのアコーのように、日本に進出するほどの企業も現れている。

[岡本伸之]

日本のホテル

沿革

日本で最初のホテルは、江戸時代末期から明治初めにかけて、開港により外国人居留地となった横浜などで、欧米人のための宿泊施設として建設された。1860年(万延1)オランダ船の元船長フフナーゲルC. J. Huffnagelが、現在の横浜市中区山下町に開業した横浜ホテルが最初とされる。

 本格的なものとしては、1867年(慶応3)江戸幕府の要請により建設が開始され、翌1868年、幕府の瓦解後に完成した築地ホテル館(102室、1872年に焼失)があった。鹿鳴館(ろくめいかん)時代になると、1890年(明治23)、渋沢栄一、大倉喜八郎(きはちろう)といった当時の財界の指導者が、外務大臣井上馨(かおる)による帝都に外国からの賓客を接遇する本格的なホテルが必要との提案を受けて、第二次世界大戦後に至るまで実質的に日本の迎賓館としての役割を果たすことになる帝国ホテルを開業させた。土地は農商務省から官有地の貸下げを受けたものであった。日本のホテルは、1960年(昭和35)ごろまでは、もっぱら外国人を、日本人はごく一部の人々を対象として営業された。しかし1960年代後半になると、高度経済成長による生活水準の向上とともに生活様式が洋風化し、ホテルはそのシンボルとなった。そのため東急や西武といった私鉄を中心に大企業がホテル経営に乗り出し、1964年のオリンピック・東京大会の開催を契機にホテル建設ブームが起こった。大阪で万国博覧会が開かれた1970年前後、さらにオイル・ショック後の1980年代以降も断続的にホテル建設ブームが起こり、日本のホテルは大都市ばかりでなく地方都市や観光地にも普及し、その性格も高級なものから庶民的なものへと業態が拡大して今日に至った。現在では日本人の間にすっかり定着し、都市では伝統的な宿泊施設である旅館にとってかわったとみてよい。

 日本のホテルは、もともと欧米のホテルの模倣から出発しただけに、都市においては、ヨーロッパを範として創業された帝国ホテルなどの高級ホテル、アメリカ流の合理主義によるヒルトンなどの大型高級ホテル、その役割がアメリカのモーテルに対応するビジネスホテル、ビジネスホテルをさらに合理化して急成長を遂げた宿泊特化型ホテルなど、さまざまな形がある。観光地においては、ヘボン式ローマ字の発案者であったヘボンの勧めにより金谷(かなや)善一郎(1852―1923)が1873年に日光で開業した金谷カッテージ・イン(現在の日光金谷ホテル)、福沢諭吉に勧められて山口仙之助(せんのすけ)(1851―1915)が1878年に箱根宮ノ下で開業した富士屋ホテルを嚆矢(こうし)とし、以来欧米的な保養を目的とする高級リゾートホテルが開業している。第二次世界大戦後にはスキーやゴルフの普及に対応したリゾートホテルなども誕生した。

[岡本伸之]

旅館との相違

日本において宿泊業を営むためには、旅館業法(昭和23年法律第138号)によって、保健所を通して都道府県知事から旅館業の営業許可を受ける必要がある。営業の種類には、ホテル営業、旅館営業、簡易宿所営業、下宿営業の4種があり、ホテル営業と旅館営業の違いは、施設の構造と設備が洋式(ベッド、洋式トイレなど)か、和式(畳にふとん、和式トイレなど)か、による。ただし、旅館営業の許可を受けた施設であっても、サービスマークは「○○ホテル」とすることができるので、看板だけでは、ホテルなのか、旅館なのか、区別できないことがある。

 旅館と比較しながらホテルの特色をあげると、まず日本の伝統的な様式による旅館は、客室が寝室であると同時に食事の場にもなるという点で複合的な機能をもつのに対して、ホテルは、客室は寝室であって飲食のためにはバーやレストランがあるという点で、建物全体が空間的に機能分化している。その意味で旅館は客室中心である。ホテルには、客室、レストラン、宴会場、それぞれのみを利用するため訪れる客もいるので、ホテルの建物は館内も公共性をもつ。客室の利用者は一歩廊下に出ればそこは「外」であり、道路と同じと考える必要がある。旅館の場合は、玄関を入るとそこは「内」とみなされるから、客室の鍵(かぎ)はホテルほど重視されない。

 建物ばかりでなく、従業員の職務も、旅館は仲居とよばれる客室係が客の食事の世話までするのに対して、ホテルは、大規模ホテルの場合、ドアマン、ベルボーイ、フロントクラーク、コンシェルジュ、ウェイター、ウェイトレス、コック、ルームメイドなど、旅館よりも細かく分業体制がとられている。コンシェルジュとはヨーロッパから世界に広まった「よろず承り係」のことである。客の利用の仕方についても、一般的な旅館の料金制度は1人いくら、しかも2食付きという、客に選択することを認めない、現在では世界的に珍しい制度であるのに対して、ホテルの場合は1室いくらの室料制度が主で、食事をしなくてもかまわない。また、旅館の場合、和室であるため、たとえば1室を5人でも利用できるのに対して、ホテルは1室2人が標準といった違いもある。

 このように、旅館とホテルでは相違点があるものの、ホテルが普及したことによって、現在では靴を履いたまま客室まで行くことができる旅館もあり、旅館のホテル化が進んでいる。ホテルが旅館を模倣する部分もあって、日本のホテルでは浴衣(ゆかた)などの寝巻を用意するのが普通である。

[岡本伸之]

ホテルの類型

一口にホテルといっても多様であるが、いろいろな視点による類型化が可能である。まず立地によって、都市に立地するシティホテルと、観光地に立地するリゾートホテルに大別される。リゾートresortとは、保養のためなどに繰り返し訪れる、滞在型の目的地のことである。次に、機能を旅行者の宿泊に絞り込んだ単機能型のホテル(ビジネスホテルや宿泊特化型ホテル、宿泊主体型ホテルとよばれるもの)と、旅行者だけでなく地域社会の人々による利用にも対応して、各種飲食施設、宴集会施設、ショッピング・アーケード、スポーツ・クラブなどを内包した多機能型のホテルがある。これら多機能型のホテルは、単機能型が小規模であるのに対して大規模であり、敷地の中にオフィスビルを隣接させるものもある。逆に、オフィスビルが高層階などにホテル部分を併設する場合もある。日本のホテルの特色の一つはこの多機能性にあり、東京の代表的な大規模・高級・多機能型ホテルの場合、ホテルの売上高全体に占める客室部門の室料の売上げは4分の1以下にすぎない。一方、個人の結婚式・披露宴、法人の記念行事など、宴会部門の売上げはホテル全体の売上げの半分に迫るほどの重みをもつ。

[岡本伸之]

『運輸省編『日本ホテル略史』正続(1946、1949・大蔵省印刷局)』『村岡實著『日本のホテル小史』(1981・中央公論社)』『澤護著『横浜外国人居留地ホテル史』(2001・白桃書房)』『井上理江他著『リッツ・カールトン物語』(2004・日経BP社)』『国土交通省編『観光白書』各年版(財務省印刷局)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホテル」の意味・わかりやすい解説

ホテル
hotel

宿泊,飲食その他これに付随するサービスを商品として生産し,販売を行なう企業。日本においては旅館業法に基づき,洋式の構造と設備で,人を宿泊させるもので,旅館とは施設形態の相違のほか,室料,サービス料のみで宿泊でき,食事などは別料金となっている料金制度の違いがあげられる。客室の数が 10以上で都道府県知事の営業許可があればホテルとして認められる。大規模なホテルでは,宿泊客以外にも食事などを提供できるグリル,結婚式場,ホールなどが付属している。日本のホテルは,慶応4(1868)年完成の築地ホテル館が最初といわれ,その後帝国ホテルなどで代表されたが,1964年の東京オリンピック競技大会を機として,高層・大規模ホテルの建設が相次いだ。さらに経済の発展に伴い,ビジネスや私用でホテルを利用する機会が増加し,大都市を中心に多数のホテルが建設された。また,ホテルの業態も多様化し,シティホテルは高級な宿泊施設であるとともに催事や宴会に多く利用され,利用頻度の高いビジネス向けにビジネスホテルが,観光旅行などではリゾートホテルがよく利用される。

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