翻訳|hotel
( 1 )日本で本格的に建てられたのは慶応四年(一八六八)東京築地に開業した「ホテル館」(別名、築地ホテル館)である。これについて「武江年表」には「異国人の旅館を建られ、且貿易の所とせらる〈蛮名ホテルといふ〉」と見える。
( 2 )ことばとしては、幕末の西欧への旅行日記などから見えはじめる。当初は「ホテル」の語の前か後に「旅店」「旅館」などの訳語を付して使われ、その後「旅館」などの語に「ホテル」のルビを振ったりもし、やがて「ホテル」単独でも用いられるようになった。
( 3 )昭和二三年(一九四八)施行の「旅館業法」によると、法律上は、宿泊施設の構造と設備が洋式か和式かの違いによって、「ホテル」と「旅館」は区別されているが、「旅館」を「ホテル」の上位概念と見ることもある。
欧米で誕生し国際的に普及した宿泊施設のこと。宿泊施設の基本的な機能は、旅行者に飲食と睡眠、さらに生命・財産の保護にかかわるサービスを提供することである。旅行の歴史は古い。したがって、宿泊施設の歴史も古い。最初は野宿であったに違いない。しかし、野宿は危険なため、やがて民家に泊めてもらう民泊が行われるようになった。交通路が整備され旅行が盛んになると、料金を受けて旅行者を宿泊させる宿泊業が生まれた。当初は最低限の機能をもつ施設であったが、しだいに充実し、なかには特権階級や富裕階級を対象に質の高い施設とサービスを提供するものも現れた。
[岡本伸之]
宿泊施設を意味する名称として「ホテル」を用いた最初の施設がいつどこで誕生したかは定かでない。しかし、いくつかの手掛りを総合すると、18世紀末の欧米と考えてよいように思われる。ホテルということばの語源は古代・中世フランス語のhostelで、宿泊所のほか大邸宅や公共の建物を意味した。hostelはやがてsが消えてホテルとなった。フランス語ではオテルhôtelであり、現在でもフランスでhôtel de villeといえば市役所を意味する。その「ホテル」が高級宿泊施設を表す名称として用いられたのである。イギリスでは中世以降インinnとよばれる宿泊施設が普及したが、ホテルはインとは異なる語感、すなわち近代的で高級、大規模な宿泊施設を表す名称として広く使われるようになり、日本を含めて国際的に一般化するようになった。インは小規模で家庭的な雰囲気であることを示唆する名称として、現在でも用いられている。
ホテルは、19世紀のなかば以降、とりわけ19世紀末から20世紀初頭にかけて、パリ、ロンドン、ニューヨークといった欧米の大都市、さらに王侯貴族や新興の富豪が夏の間、避暑と社交を目的として集まったドイツのバーデン・バーデン、モナコのモンテ・カルロといったリゾート地に建設され、施設とサービスの両面において現代の高級ホテルの原型となった。1862年、花の都パリのオペラ座そばに開業したグランド・ホテル(現在のインターコンチネンタル・パリ・ル・グラン)は、絢爛(けんらん)豪華であることが広く知られるようになり、それにあやかろうと、その後、世界の都市でその町一番の高級ホテルを「○○グランド・ホテル」と命名することが習わしとなった。
[岡本伸之]
そうしたなかで、高級ホテルの運営のあり方に決定的な影響を及ぼした人物がスイス出身のホテルマン、リッツCésar Ritz(1850―1918)と、フランス人の料理長で「料理人の王様か、王様の料理人か」とうたわれたエスコフィエGeorges Auguste Escoffier(1846―1935)の2人である。リッツはホテルマンになることを志し、スイスの片田舎(いなか)からパリへ出て、レストランの給仕を振り出しに、やがて世界の王侯貴族や新興の富豪の愛顧を得る人物となった。リッツとともに仕事をしたエスコフィエは、数々のフランス料理を創作し、彼が著した料理教本(『エスコフィエ フランス料理』角田明訳、1969・柴田書店)は現在でもフランス料理のバイブルとされている。
リッツとエスコフィエが投資家の要請を受けて開発したホテルの多くは、ロンドンのサボイThe Savoy(1889年開業)やパリのリッツLe Ritz(1898年開業)のように、現在でも高級ホテルとして健在である。これらのホテルは、高額な室料と総支配人の目が行き届く規模に抑えた室数で、王侯貴族の生活様式を彷彿(ほうふつ)とさせる豪華な施設と顧客の期待を凌駕(りょうが)するサービスを提供し、世界の高級ホテルの模範となった。エスコフィエが創作した料理は、当時の人気オペラ歌手メルバのためにつくったピーチ・メルバやメルバ・トーストのように、その多くが現在でも世界のホテルのメニューに登場している。世界の高級ホテルがフランス料理を基本としているのは、エスコフィエの影響による。また、フォーシーズンズと並んで国際的な高級ホテル・チェーンとなっているザ・リッツ・カールトンは、リッツの名前と、リッツがエスコフィエとともに成功させたロンドンのカールトン・ホテルの名前をブランド・ネームに組み込むことによって、質の高さを象徴することに成功している。
[岡本伸之]
リッツやエスコフィエによるホテルは、王侯貴族のための高料金ホテルであったが、20世紀に入るとアメリカで、一般庶民でも負担できるような料金で、しかも十全な機能を備えたホテルが開発されるようになった。その背景としては、産業活動の活発化によって商用旅行が盛んとなり、便利で快適な設備とサービスを提供するホテルに対する需要が高まったこと、一方、企業側では規模の経済を追求するための大量生産・大量販売の仕組み、具体的にはチェーン経営の手法によって料金の引下げが可能になったことがあげられる。のちに「近代ホテル王」と賞賛されたスタットラーEllsworth Milton Statler(1863―1928)は、1908年にニューヨーク州のバッファローでスタットラー・ホテルを開業して大成功を収めた。その後スタットラーは全米の主要都市で1000室規模の大規模ホテルを次々に建設し、近代的なホテル経営の模範となった。
スタットラーはホテル経営に科学的管理法を導入し、人材育成のためにコーネル大学に多額の寄付を行い、現在同大学ホテル経営学部を筆頭に全米の100を超える4年制大学がホテル経営教育を含むホスピタリティ教育(対人接客サービスを伴う職業に従事するための教育)を提供することになる端緒を開いた。そうしたアメリカにおけるホテル経営の伝統を継承したのが、みずからも数々の革新的な業績を残したヒルトン・チェーンの創始者コンラッド・ヒルトン、世界最大規模の高級ホテル・チェーンとしてのシェラトンを築いたヘンダーソンErnest Henderson(1897―1967)であった。第二次世界大戦後は、マリオットJhon Willard Marriotto(1900―1985)が創業したマリオット、プリツカーJay Pritzker(1922―1999)が創業したハイアット、さらにウェスティンなどのホテル・チェーンが台頭し、アメリカのホテル企業が国際的に躍進している。ヨーロッパではホテルのチェーン化が遅れたが、現在では、ノボテルやソフィテルなど複数のホテル・チェーンを擁するフランスのアコーのように、日本に進出するほどの企業も現れている。
[岡本伸之]
日本で最初のホテルは、江戸時代末期から明治初めにかけて、開港により外国人居留地となった横浜などで、欧米人のための宿泊施設として建設された。1860年(万延1)オランダ船の元船長フフナーゲルC. J. Huffnagelが、現在の横浜市中区山下町に開業した横浜ホテルが最初とされる。
本格的なものとしては、1867年(慶応3)江戸幕府の要請により建設が開始され、翌1868年、幕府の瓦解後に完成した築地ホテル館(102室、1872年に焼失)があった。鹿鳴館(ろくめいかん)時代になると、1890年(明治23)、渋沢栄一、大倉喜八郎(きはちろう)といった当時の財界の指導者が、外務大臣井上馨(かおる)による帝都に外国からの賓客を接遇する本格的なホテルが必要との提案を受けて、第二次世界大戦後に至るまで実質的に日本の迎賓館としての役割を果たすことになる帝国ホテルを開業させた。土地は農商務省から官有地の貸下げを受けたものであった。日本のホテルは、1960年(昭和35)ごろまでは、もっぱら外国人を、日本人はごく一部の人々を対象として営業された。しかし1960年代後半になると、高度経済成長による生活水準の向上とともに生活様式が洋風化し、ホテルはそのシンボルとなった。そのため東急や西武といった私鉄を中心に大企業がホテル経営に乗り出し、1964年のオリンピック・東京大会の開催を契機にホテル建設ブームが起こった。大阪で万国博覧会が開かれた1970年前後、さらにオイル・ショック後の1980年代以降も断続的にホテル建設ブームが起こり、日本のホテルは大都市ばかりでなく地方都市や観光地にも普及し、その性格も高級なものから庶民的なものへと業態が拡大して今日に至った。現在では日本人の間にすっかり定着し、都市では伝統的な宿泊施設である旅館にとってかわったとみてよい。
日本のホテルは、もともと欧米のホテルの模倣から出発しただけに、都市においては、ヨーロッパを範として創業された帝国ホテルなどの高級ホテル、アメリカ流の合理主義によるヒルトンなどの大型高級ホテル、その役割がアメリカのモーテルに対応するビジネスホテル、ビジネスホテルをさらに合理化して急成長を遂げた宿泊特化型ホテルなど、さまざまな形がある。観光地においては、ヘボン式ローマ字の発案者であったヘボンの勧めにより金谷(かなや)善一郎(1852―1923)が1873年に日光で開業した金谷カッテージ・イン(現在の日光金谷ホテル)、福沢諭吉に勧められて山口仙之助(せんのすけ)(1851―1915)が1878年に箱根宮ノ下で開業した富士屋ホテルを嚆矢(こうし)とし、以来欧米的な保養を目的とする高級リゾートホテルが開業している。第二次世界大戦後にはスキーやゴルフの普及に対応したリゾートホテルなども誕生した。
[岡本伸之]
日本において宿泊業を営むためには、旅館業法(昭和23年法律第138号)によって、保健所を通して都道府県知事から旅館業の営業許可を受ける必要がある。営業の種類には、ホテル営業、旅館営業、簡易宿所営業、下宿営業の4種があり、ホテル営業と旅館営業の違いは、施設の構造と設備が洋式(ベッド、洋式トイレなど)か、和式(畳にふとん、和式トイレなど)か、による。ただし、旅館営業の許可を受けた施設であっても、サービスマークは「○○ホテル」とすることができるので、看板だけでは、ホテルなのか、旅館なのか、区別できないことがある。
旅館と比較しながらホテルの特色をあげると、まず日本の伝統的な様式による旅館は、客室が寝室であると同時に食事の場にもなるという点で複合的な機能をもつのに対して、ホテルは、客室は寝室であって飲食のためにはバーやレストランがあるという点で、建物全体が空間的に機能分化している。その意味で旅館は客室中心である。ホテルには、客室、レストラン、宴会場、それぞれのみを利用するため訪れる客もいるので、ホテルの建物は館内も公共性をもつ。客室の利用者は一歩廊下に出ればそこは「外」であり、道路と同じと考える必要がある。旅館の場合は、玄関を入るとそこは「内」とみなされるから、客室の鍵(かぎ)はホテルほど重視されない。
建物ばかりでなく、従業員の職務も、旅館は仲居とよばれる客室係が客の食事の世話までするのに対して、ホテルは、大規模ホテルの場合、ドアマン、ベルボーイ、フロントクラーク、コンシェルジュ、ウェイター、ウェイトレス、コック、ルームメイドなど、旅館よりも細かく分業体制がとられている。コンシェルジュとはヨーロッパから世界に広まった「よろず承り係」のことである。客の利用の仕方についても、一般的な旅館の料金制度は1人いくら、しかも2食付きという、客に選択することを認めない、現在では世界的に珍しい制度であるのに対して、ホテルの場合は1室いくらの室料制度が主で、食事をしなくてもかまわない。また、旅館の場合、和室であるため、たとえば1室を5人でも利用できるのに対して、ホテルは1室2人が標準といった違いもある。
このように、旅館とホテルでは相違点があるものの、ホテルが普及したことによって、現在では靴を履いたまま客室まで行くことができる旅館もあり、旅館のホテル化が進んでいる。ホテルが旅館を模倣する部分もあって、日本のホテルでは浴衣(ゆかた)などの寝巻を用意するのが普通である。
[岡本伸之]
一口にホテルといっても多様であるが、いろいろな視点による類型化が可能である。まず立地によって、都市に立地するシティホテルと、観光地に立地するリゾートホテルに大別される。リゾートresortとは、保養のためなどに繰り返し訪れる、滞在型の目的地のことである。次に、機能を旅行者の宿泊に絞り込んだ単機能型のホテル(ビジネスホテルや宿泊特化型ホテル、宿泊主体型ホテルとよばれるもの)と、旅行者だけでなく地域社会の人々による利用にも対応して、各種飲食施設、宴集会施設、ショッピング・アーケード、スポーツ・クラブなどを内包した多機能型のホテルがある。これら多機能型のホテルは、単機能型が小規模であるのに対して大規模であり、敷地の中にオフィスビルを隣接させるものもある。逆に、オフィスビルが高層階などにホテル部分を併設する場合もある。日本のホテルの特色の一つはこの多機能性にあり、東京の代表的な大規模・高級・多機能型ホテルの場合、ホテルの売上高全体に占める客室部門の室料の売上げは4分の1以下にすぎない。一方、個人の結婚式・披露宴、法人の記念行事など、宴会部門の売上げはホテル全体の売上げの半分に迫るほどの重みをもつ。
[岡本伸之]
『運輸省編『日本ホテル略史』正続(1946、1949・大蔵省印刷局)』▽『村岡實著『日本のホテル小史』(1981・中央公論社)』▽『澤護著『横浜外国人居留地ホテル史』(2001・白桃書房)』▽『井上理江他著『リッツ・カールトン物語』(2004・日経BP社)』▽『国土交通省編『観光白書』各年版(財務省印刷局)』
欧米で発達した近代的設備を備える高級宿泊施設。宿泊施設とは,第一義的には旅行者に対して睡眠と飲食,さらに生命,財産の保護にかかわるサービスを提供することによって,人々に旅行先での滞在を可能にさせる施設である。宿泊施設を表す言葉は,欧米ではホテルのほか古くからのインinn,新しいものにモーテルmotelがあり,日本では旅館などがある。インという言葉はイギリスで15世紀初頭から使われ,現代でも中世の宿泊施設がそうであったように,小規模で家庭的な雰囲気を示唆する語として用いられている。ホテルという言葉がイギリスやアメリカで使われるようになったのは,18世紀末~19世紀初頭である。その語源は古代・中世フランス語のhostelで,宿泊所のほか富豪の大邸宅や公共の建物を意味した。hostelはやがてs音が消えてhotel,フランス語ではオテルhôtelとなったが,インとは異なる語感,すなわち近代的で高級な宿泊施設を意味する言葉として定着した。
19世紀半ば以降,大規模なホテルがヨーロッパやアメリカで建設されるようになった。こうしたなかで,その後の高級ホテルのあり方に決定的な影響を与えることになった人物が,スイスのホテルマンのリッツCésar Ritz(1850-1918)とフランスの料理長エスコフィエGeorges Auguste Escoffier(1846-1935)である。リッツはスイスの片いなかからパリへ出て,レストランの給仕を振出しにやがて世界の王侯,貴族や新興の富豪をもてなす人物となった。一方,リッツとコンビを組んだエスコフィエは数々のフランス料理を創作し,その著書《料理案内》(1902。邦訳《エスコフィエ・フランス料理》)はフランス料理のバイブルとされている。2人の協力で誕生したホテルにロンドンのサボイ・ホテルSavoy Hotel(1889),カールトン・ホテルCarlton Hotel(1898),パリのオテル・リッツHôtel Ritzなどがある。サボイの開業はロンドンで日曜日に外食を楽しむ習慣が定着する契機となった。またパリのオテル・リッツは今日もパリを代表する高級ホテルであるが,その後の高級ホテルの手本となった。さらにエスコフィエの創作した料理は,彼が人気オペラ歌手N.メルバのために作ったピーチ・メルバのように,その多くが現在も世界のホテルのメニューに登場している。
この2人によるホテルは,いわば王侯,貴族のためのホテルであったが,20世紀に入るとアメリカで,一般大衆でも負担できるような料金で,しかも高級ホテルとして十分な機能を備えたホテルが建設されるようになった。その背景としては,産業活動が活発化して商用旅行が盛んとなり,快適な設備とサービスを備えたホテルに対する需要が高まったこと,一方,ホテルを建設,運営する側では大量生産,大量販売の仕組み,すなわちチェーン経営の手法で価格の引下げが可能になったこと,などが挙げられる。後にホテル業を近代的産業としての地位にまで高めたと評されたスタットラーEllsworth Milton Statler(1863-1928)が,1908年にバッファローでスタットラー・ホテルを開業し大成功を収めた。彼は1000室単位の大規模なチェーン・ホテルを次々に建設し,その後のホテル経営の模範となった。そしてこの経営法を継承したのが,みずからも数々の革新的な業績を残したヒルトン・チェーンの創始者ヒルトンConrad Nicholson Hilton(1887-1979),世界最大のホテル・チェーンであるシェラトン・チェーンを築いたヘンダーソンErnest Henderson(1897-1967)である。さらに現在では新興勢力としてハイアット,ウェスティン,マリオットといったホテル・チェーンが台頭し,アメリカのホテル産業は新しい発展段階を迎えている。
アメリカの宿泊施設には,上記のような高級ホテルに加えて,1920年代に登場したモーテルと呼ばれる種類がある。モーテルという言葉はmotorists' hotelすなわち〈自動車利用者のホテル〉をつづめた語で,自動車の普及によって誕生した。自動車旅行者にとって便利な立地条件と十分な駐車場を備えていること,さらに施設とサービスが簡素であるため廉価なことが特色である。モーテルは第2次大戦後急成長を遂げ,現在では軒数,客室数ともにホテルを上回っている。なかでもホリデー・インは,アメリカのみならず全世界にチェーン・モーテルを擁する世界最大の宿泊施設チェーンとなっている。
日本におけるホテルは,江戸時代末期から明治初めにかけて,外国人のための宿泊施設として建設された。本格的なものとしては1868年(明治1)に東京で竣工したホテル館(別名,築地ホテル館)が最初とされる。そして90年には日本を代表するホテルとして帝国ホテルが開業した。その後日本のホテルは1960年ころまでは,もっぱら外国人を,日本人ではごく一部の富裕な人々を対象として営業された。しかし60年代後半になると,高度経済成長とともに日本人の生活様式が洋風化し,そのため東急や西武といった私鉄を中心に大企業がホテル建設に乗り出し,64年のオリンピック東京大会の開催を契機に第1次ホテル建設ブームが起こった。その後70年前後に第2次のブームが,さらにオイル・ショック後の80年代になって第3次のブームが起こっている。こうしたブームを経て,日本のホテルは大都市ばかりでなく地方都市や観光地にもおよび,その性格も高級なものから大衆的なものへと広がりをみせている。現在では日本人の間にすっかり定着し,都市では伝統的な宿泊施設である旅館に取って代わる勢いとなっている。欧米のホテル史との関連でいえば,もともと欧米ホテルの模倣から出発しただけに,リッツ流の高級ホテルの系譜,1963年に開業した東京ヒルトン・ホテルに続くアメリカ的なホテル,さらにモーテルに対応するビジネス・ホテルなど,多様である。また日本のホテルの特色として,とくに大都市の大規模ホテルの場合,地域社会の人々にとってショッピング,文化,教養,娯楽,スポーツといった分野で,さまざまな社会的機能を果たしている点が注目される。欧米のホテルもそうした役割をもつが,日本のホテルの方がより多面的かつ積極的である。
→宿屋 →旅館
執筆者:岡本 伸之
日本の場合,ホテルは客室のほかに宴会場や飲食施設などを豊富にそろえた都市ホテルと,経済的な宿泊機能を重視したいわゆるビジネス・ホテル,そして観光地や保養地に建つリゾート・ホテルに大きく分類することができる。これらのうち施設構成が最も複雑なのは都市ホテルである。都市ホテルは,宿泊,宴会,飲食,物品販売,スポーツやレジャー,駐車などといった多様な生活機能を充足するように計画され,建築的にはおのおのの機能に適したそれぞれの空間を必要とする,一種の複合建築と考えるべき性格が強い。このような都市ホテルの計画では,比較的小さな単位空間の集合として積み重ねることの多い高層客室部と,広々とした大空間が要求される大宴会場やホテルの顔としての印象をつくり出すメインロビーや外来利用者の多い飲食施設などを内容とする低層部とで構成されることが多い。客室はバスルーム付きの1人室または2人室が一般的で,上等な客室は寝室と接客室とを分けた続き部屋として計画される。大宴会場は多様な演出用の空間であるが,同時に,結婚式場関係の諸室が一体的に設けられるのが普通である。飲食を提供する部分が多いのでサービス側の計画は厨房の計画が中心になる。また,ホテルは不特定の利用者を対象としているので防災上の配慮がとくに必要な種類の建物である。さらに,伝統的に快適さや魅力的な空間構成といった文化度の高い雰囲気が必要とされる施設であるという特色ももっている。
執筆者:村尾 成文
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…旅館とは旅行者のための宿泊施設であるが,この語をホテルと対比させて用いる場合は,ホテルが洋式であるのに対して,旅館は和式を意味する。日本では宿泊業を営む場合,〈旅館業法〉(1948制定)によってあらかじめ都道府県知事より営業許可を受けなければならない。…
※「ホテル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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