コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ヘンライン ヘンライン Henlein, Konrad

3件 の用語解説(ヘンラインの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヘンライン
ヘンライン
Henlein, Konrad

[生]1898.5.6. マフェルスドルフ
[没]1945.5.10. ピルゼン
ナチス・ドイツの政治家。第1次世界大戦ではオーストリア軍に従軍。帰国後銀行の書記,体操教師となったが,ズデーテン地方がチェコスロバキアに編入されたことに反発,ズデーテンのドイツ帰属運動を展開。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ヘンライン【Konrad Henlein】

1898‐1945
ズデーテン(現,チェコスロバキア領)のドイツ人政治家。銀行員,教員を経るかたわらドイツ人体育協会に参加。1933年郷土戦線を結成してズデーテン・ドイツ人の自治を唱え,35年の選挙で第二党となる。ナチスの援助のもと,38年以後は公然とドイツのズデーテン併合を主張した。ミュンヘン会談でこれが実現するとズデーテンラント行政長官となる。39年にはズデーテンラント帝国総督となる。45年5月10日連合国軍の捕虜収容所で自決した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヘンライン
へんらいん
Konrad Henlein
(1898―1945)

チェコスロバキアのズデーテン・ドイツ人党の指導者。第一次世界大戦に従軍したが、その後、銀行員となった。1931年チェコのドイツ体操協会長となり、1933年10月「ズデーテン・ドイツ人愛国戦線」を創立した。これは少数民族ズデーテン・ドイツ人の自治を要求したが、実質上はナチス党支部で、2年後ズデーテン・ドイツ人党と改称し、1935年の総選挙では44議席を得てチェコ第二の政党になった。ナチス・ドイツから資金援助を受け、1938年のドイツ・オーストリア合邦後はヒトラーと緊密に提携し、ズデーテン地方のドイツ帰属に努めた。ミュンヘン協定でドイツ軍に占領されると、ズデーテン地方の国家委員となり、1939年5月管区指導者兼総督になった。第二次世界大戦末、アメリカ軍に逮捕され、捕虜収容所で自殺した。[吉田輝夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のヘンラインの言及

【チェコスロバキア】より

…また,スロバキア人より多くの人口を抱えたドイツ人は,もともとチェコスロバキアに所属することに反対した。ドイツ人はヘンラインのズデーテン・ドイツ党を支持するようになった。その後,この党はナチスとの関係を強めた。…

※「ヘンライン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ヘンラインの関連キーワードシュテファーニクスロバキアチェコスロバキアモラバチェコスロバキア解体チェコスロバキア共産党チェコスロバキアン・ウルフドッグチェコスロバキア映画チェコスロバキア事件ソ連・チェコスロバキア相互援助条約

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone