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ホスロー[2世] Khosrō II

世界大百科事典 第2版の解説

ホスロー[2世]【Khosrō II】

ササン朝ペルシアの王。在位590‐628年。パルウィーズ(〈勝利者〉の意)の名で知られる。ホスロー1世の孫で,ホルミズド4世の子。590年,将軍ワラフラン(バフラーム・チョービーン)が反乱を起こすと,母の兄ウィスタームはホルミズド4世を廃してホスローを即位させた。ワラフランが王位を簒奪(さんだつ)したので,ホスローは東ローマ帝国に逃れ,マウリキウス帝の援助を得て,翌年クテシフォンに戻ることができた。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のホスロー[2世]の言及

【エルサレム】より

…ビザンティン帝国のテオドシウス2世の妃エウドキアEudociaはエルサレムに定住し(444‐460),この動きを促進した。614年ササン朝ペルシアのホスロー2世の軍がエルサレムを占領し,イエス磔刑に用いられたと伝えられる十字架を持ち去る事件がおき,629年ビザンティン皇帝ヘラクレイオスが十字架を奪還してエルサレムへの勝利の帰還をとげるが,イスラム教徒のアラブ軍がエルサレムを包囲するのは,それからわずか8年後の637年であった。 638年,エルサレム総大主教ソフロニウスSophroniusはカリフのウマル1世に降伏し,カリフは自ら同市に赴いた。…

【ササン朝】より

…カワード1世Kavādh Iは,当時国内に起こっていたマズダク教の社会運動,他方ではエフタルの力を利用して大貴族や祭司階級の勢力を抑え,王権の強化をはかった。カワードの治世末期にマズダク教徒を弾圧したホスロー1世は,父王のあとをついで即位すると,税制改革,官僚制の整備,国王常備軍の編成によって中央集権的な支配体制を確立した。国力の充実にともない対外政策も積極化し,ビザンティンと戦ってシリアに侵入し,東方では突厥と同盟してエフタルを滅ぼし,またイエメンを征服して南海に進出した。…

【シリア】より

…この事態は同世紀中,断続的に続き,7世紀に入るといっそう拡大した。ササン朝のホスロー2世はシリア,エジプトをビザンティン帝国から一時奪い占領した。622年以来ビザンティン皇帝ヘラクレイオスは反撃に転じ,ササン朝を追い出し,旧領土を回復したが,長い戦火にシリア住民たちはビザンティン帝国に対しても冷ややかな感情しかもたなくなっていた。…

【ホスローとシーリーン】より

…イラン詩人ニザーミーのロマンス叙事詩《五部作》のうち,1177‐81年にかけて6500句をもってうたわれた一編。ササン朝の王ホスロー2世(在位590‐628)と美女シーリーンをモデルにした恋物語。ホスローとシーリーンとの長い愛の遍歴と結婚,暗殺された王の後を追って自害するシーリーンの悲劇は,イラン本土のほか,東方イスラム世界の各地で広く賞賛され,ミニアチュールに描かれ,ロシアではバレエとなって上演されている。…

※「ホスロー[2世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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