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クテシフォン Ctesiphon

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クテシフォン
Ctesiphon

バグダードの南東約 40kmのチグリス河岸にあった古代都市。前2世紀パルティア帝国によって軍事基地として建設され,その後冬の都として発展。前1世紀オロデス2世のとき,同国の首都となる。2世紀に入ってしばしばローマ軍の侵入を受けたが,226年ササン朝アルダシール1世によって占領され,以後同朝の首都として繁栄。 637年アラブによって占領され,8世紀バグダードの発展とともに衰退した。現在,「ターケ・キスラー」と呼ばれる巨大なボールト天井をもつササン朝期の宮殿遺跡が残っている。

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百科事典マイペディアの解説

クテシフォン

バグダッドの南方26kmにある,パルティアおよびササン朝ペルシア帝国の都市で,226年以降は後者の首都。ティグリス川東岸にあり,セレウキアと相対する。637年イスラム軍によって占領され,バグダッドの造営にともないさびれた。

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世界大百科事典 第2版の解説

クテシフォン【Ktēsiphōn】

ティグリス川東岸にあったパルティアおよびササン朝ペルシア時代の都市。前2世紀後半,パルティアのメソポタミア進出にともない,セレウキアの対岸の村に軍事的根拠地として建設された。その後,アルサケス朝の冬宮がおかれ,セレウキアが破壊された(後165)のちはバビロニアの中心都市となり,古代東西交通路の要衝として繁栄した。パルティアを打倒したアルダシール1世は226年クテシフォンで即位し,ササン朝帝国の首都をここに定めた。

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大辞林 第三版の解説

クテシフォン【Ctesiphon】

イラクの中央部、チグリス川東岸にある古代都市の遺跡。パルティア王国およびササン朝ペルシャの首都。テシフォン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

クテシフォン
くてしふぉん
Ctesiphon

メソポタミアの古代都市遺跡。現在イラク共和国に属し、バグダードの南東約40キロメートル、ティグリス川の左岸にある。紀元前129年ごろパルティアの冬の都となり、対岸のギリシア人の商業都市セレウキアとともに、ペルシア人の政治・軍事都市として発展した。ササン朝ペルシア時代は終始その首都であった。パルティア時代からしばしばローマ軍の侵略を受け、637年アラブ人に占領され破壊された。1928~32年ドイツ東洋学会が発掘した。現在残っているのは、ササン朝ホスロー1世(在位531~579)時代の宮殿の一部と思われる丸屋根・れんが製のターク・イ・キスラ(ホスローのアーチ)だけであるが、高さ37メートルあり、昔日の偉容をしのばせるササン朝の代表的建築物である。[小玉新次郎]

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世界大百科事典内のクテシフォンの言及

【パルティア】より

…治世末に諸王子間に王位継承の争いが起こり,以後2人ないし3人の王が分立する長い内乱時代(77か78‐147)に入った。その間にトラヤヌスのパルティア遠征(113‐117)が行われ,セレウキアと首都クテシフォンがローマ軍に占領された。2世紀後半にもセレウキアとクテシフォンは2度にわたってローマ軍の攻略を受けた。…

※「クテシフォン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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