コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ヘラクレイオス Hērakleios

世界大百科事典 第2版の解説

ヘラクレイオス【Hērakleios】

575ころ‐641
ビザンティン帝国の皇帝。在位610‐641年。カルタゴ総督の息子として暴君フォーカスの討伐軍を指揮,同帝の退位後即位し,ヘラクレイオス朝(610‐695,705‐711)を興す。バルカンスラブアバールアナトリアペルシアに挟まれ苦境にあった帝国の救出を図る。ホスロー2世治下のペルシア遠征を実行(622‐628),ニネベの戦(627)で勝利を収め,翌年首都クテシフォンを陥れペルシア戦役に終止符をうった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

世界大百科事典内のヘラクレイオスの言及

【エルサレム】より

…ビザンティン帝国のテオドシウス2世の妃エウドキアEudociaはエルサレムに定住し(444‐460),この動きを促進した。614年ササン朝ペルシアのホスロー2世の軍がエルサレムを占領し,イエス磔刑に用いられたと伝えられる十字架を持ち去る事件がおき,629年ビザンティン皇帝ヘラクレイオスが十字架を奪還してエルサレムへの勝利の帰還をとげるが,イスラム教徒のアラブ軍がエルサレムを包囲するのは,それからわずか8年後の637年であった。 638年,エルサレム総大主教ソフロニウスSophroniusはカリフのウマル1世に降伏し,カリフは自ら同市に赴いた。…

【十字架伝説】より

…キリストの十字架はその後コンスタンティヌス帝の母ヘレナFlavia Julia Helena(257ころ‐337ころ)により発見され,彼女の死後その断片が聖十字架または真の十字架Vera Cruzの聖遺物として各地に広がった。伝説にはこのほか,モーセの杖(つえ)の奇跡,ダビデの庭への若木の植え替え,ヘラクレイオス帝による聖十字架の奪還などを含む,叙述の異なる数多くの異説がある。 これらの伝説は西洋世界に導入されて美術作品の主題となった。…

【シリア】より

…ササン朝のホスロー2世はシリア,エジプトをビザンティン帝国から一時奪い占領した。622年以来ビザンティン皇帝ヘラクレイオスは反撃に転じ,ササン朝を追い出し,旧領土を回復したが,長い戦火にシリア住民たちはビザンティン帝国に対しても冷ややかな感情しかもたなくなっていた。
【アラブの征服】
 アラブが大挙してシリアに進出してきたのは634年になってからのことであるが,すでにそれ以前にシリアにおけるアラブの浸透は始まっていた。…

【ビザンティン帝国】より

…6世紀末~7世紀初め,事態は極度に悪化した。 登極してこの危機に直面したヘラクレイオス(在位610‐641)はペルシア大遠征を試みて(622‐628),占領された東部諸属州を奪回した。帝の不在中にペルシアと結んだアバールのコンスタンティノープル包囲(626)は失敗し,アバール大国家は壊滅した。…

【ユダヤ人】より


[ヨーロッパ・キリスト教社会とユダヤ教徒]
 キリスト教世界のなかでもビザンティン帝国では,テオドシウス2世(在位408‐450)およびユスティニアヌス1世(在位527‐565)以来,ユダヤ教徒はいっさいの官職から排除され,キリスト教徒を農奴として用いることを禁じられ,事実上,農耕に従事することが不可能となった。さらにヘラクレイオス(在位610‐641)は彼らに対しキリスト教への改宗を強制するにいたった。 これに対しグレゴリウス1世(在位590‐604)以来のローマ教皇は,原則として,これとは異なった対応を示した。…

※「ヘラクレイオス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

ヘラクレイオスの関連キーワードヘラクリウス1世ヘラクレオナスジゲベルト1世ベネディクツス1世アサヒ号 AA型 二輪車陸王大型オ-トバイガロンヌ川合名会社舒明天皇舒明天皇

今日のキーワード

金城湯池

1 《「漢書」蒯通伝から。「湯池」は熱湯をたたえた堀》守りが非常に固く、攻めるのが難しい城。金湯。2 堅固で、他から侵害されにくい勢力範囲。「保守派の金城湯池」...

続きを読む

コトバンク for iPhone