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ササン朝 ササンちょうSāsāniyān (Āl-i Sāsān); Sāsānids

4件 の用語解説(ササン朝の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ササン朝
ササンちょう
Sāsāniyān (Āl-i Sāsān); Sāsānids

アルダシール1世によって創建され,アラブ人に滅ぼされたイランの王朝 (226~651) 。その名称は同王朝の祖先であり,イスタクルの祭司であったササンに由来する。アケメネス朝の再興を目指し,ゾロアスター教を国教とする神政国家の性格を有する中央集権官僚国家を樹立したアルダシール1世は,226年アルサケス朝パルティア帝国アルタバヌス5世を倒してクテシフォンを都とした。

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百科事典マイペディアの解説

ササン朝【ササンちょう】

224年アルダシール1世が創建し,651年イスラム教徒に滅ぼされたイランの王朝(ササン朝ペルシア)。西アジアの広大な地域を領有し,ゾロアスター教による神政政治の下に,行政・司法制度が確立し,イラン古代史上最隆盛期を画した。
→関連項目イスラム文化イラン角杯クテシフォン狩猟文ペルシア語マリ(遺跡)

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世界大百科事典 第2版の解説

ササンちょう【ササン朝 Sāsān】

アルサケス朝パルティアのあとを受け,4世紀以上にわたって西アジアの大半を支配し,イスラムの出現によって滅ぼされたイランの王朝(図)。224‐651年。その帝国はササン朝ペルシア呼ばれる
[歴史]
 王朝の祖ササンSāsānは,タバリーの年代記によれば,パールス(現ファールス,ペルシアの語源)地方のイスタフル(ペルセポリス付近)のアナーヒター神殿祭司であった。パールス地方にはアケメネス朝の伝統が強く保存され,パルティアの支配のもとに王を称する土着の君侯が存在していた。

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大辞林 第三版の解説

ササンちょう【ササン朝】

イラン(ペルシャ)の王朝(226~651)。パルティア王国を倒してアルデシール一世が建国。西アジアの広大な地域を領有し、ゾロアスター教を国教として神権に基づく専政政治が行われ、独特の文化が栄えた。ホスロー一世の時に最盛期を迎えたが、のち次第に衰え、新興のイスラム軍に敗れ滅亡した。

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世界大百科事典内のササン朝の言及

【メソポタミア】より

…バビロンのエギビ一族,ニップールのムラシュ一族の文書は,商取引によって富を蓄えた階層の実態をよく示している。ペルシア帝国
[セレウコス朝時代,パルティア,ササン朝ペルシア時代]
 前331年ダレイオス3世がアレクサンドロス大王に敗北するに及び,ペルシア帝国は崩壊した。アレクサンドロスの死後,部下セレウコスがシリア,メソポタミアを支配した(セレウコス朝シリア)。…

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