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ホーヘンドルプ Hogendorp, Gijsbert Karel van

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ホーヘンドルプ
Hogendorp, Gijsbert Karel van

[生]1771.10.27. ロッテルダム
[没]1834.8.5.
オランダの政治家。貴族の子として生れ,10歳でベルリンの陸軍幼年学校に学び,プロシア王子の側近として仕えたのち,オランダに帰って総督ウィレム5世の近衛士官となった。オランニェ党の指導者として頭角を現したが,1795年の革命で総督がイギリスへ亡命すると,官職を辞してアムステルダムで商業活動に従事した。オランダがフランスに合併されると,オランニェ家によるオランダの解放と統一国家の建設を説き,憲法草案を作成した。 1814年オランダは彼の起草した憲法を採択し,15年ベルギーを加えて成立したオランダ (ネーデルラント) 王国は彼の指導で改正された新憲法草案を採択した。彼は新政府の指導者になったが,やがて経済政策や税制をめぐって国王ウィレム1世と対立した。多くの著作および書簡集を残している。

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世界大百科事典 第2版の解説

ホーヘンドルプ【Gijsbert Karel van Hogendorp】

1762‐1834
オランダの政治家。ロッテルダム生れ。1773年プロイセン王家出身の総督ウィレム5世夫人ウィルヘルミナの尽力でベルリンの陸軍幼年学校入学,のちフリードリヒ大王の王弟に仕え,81年帰国して近衛師団将校となる。83年のアメリカ旅行後,ライデン大学で法学を学び,86年学位を得た。このころ総督派と〈愛国党〉の対立が激化し,ホーヘンドルプは総督派に属したため,95年オランダ共和国が崩壊すると政治運動から退き,祖国解放後の国家財政や立憲君主制の実現について研究した。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

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