日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボルディーガ」の意味・わかりやすい解説
ボルディーガ
ぼるでぃーが
Amadeo Bordiga
(1889―1970)
イタリアの共産主義者。レジーナ出身の土木技師。確信的なマルクス主義者として1910年に社会党に入党し、社会主義青年同盟の活動家として頭角を現す。第一次世界大戦前は、当時社会党員であったムッソリーニの率いる左派に属したが、大戦中に同盟の全国機関誌の編集長になり、レーニンに近い立場から革命を展望した。終戦とともにナポリで『ソビエト』誌を創刊し、党内の反議会主義的共産主義分派をこれによって結集した。コミンテルン第2回大会(1920年7~8月)に参加し、党活動をコミンテルンの指導に結び付けようと試みるが多数派の抵抗にあい、リボルノの党大会(1921)でグラムシの新秩序派とともに自派を率いて離党し、共産党を結成して初代書記長になった(1921~1923)。共産党第2回大会(1922年3月)では中心的テーゼを起草し、そのなかで上からの統一戦線を拒否した。統一戦線をめぐってボルディーガと対立したコミンテルンは書記長の投獄を利用して指導部の一新を図り、グラムシによる反ボルディーガ闘争が展開され、第3回大会(1926年1月)で新しい指導体制が確立された。トロツキー支持の理由でコミンテルンに非難されていたが、この大会でも中央委員の地位は失われなかった。1926年11月ファシズムによってふたたび逮捕され、ウスティカ島ついでポンツァ島に流刑され、1930年春トロツキー支持のため党から除名されると、まもなく釈放され、以後政治活動から身を引いて技師の生活を続けた。
[重岡保郎]