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ポンド危機 ポンドききPound Crisis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ポンド危機
ポンドきき
Pound Crisis

第2次世界大戦後,イギリスが周期的に繰返す経済不況と通貨ポンドの下落の総称。イギリスは第2次世界大戦で戦勝国となったものの戦費の調達のため戦前保有していた巨額の海外資産を失い,また戦災で国内資産も膨大な損失を受けた。このため 1945年 12月,アメリカから 37億 5000万ドルの借款を得て戦後復興に乗出した。同借款も輸入原料の高騰で期待されたほどの効果をあげえず,49年9月最初のポンド切下げ (1ポンド 4.03ドルから 2.80ドルへ) に追込まれた。その後も国際収支は改善されず,ポンド危機はほぼ1年おきに到来し,60年代に入って慢性的な現象となった。一般的な原因としてはイギリスが戦後,大国の地位を確保しようとして経済力に不釣合いな軍事力を維持しようとしたことによる出費,あるいは福祉国家の維持のための財政負担,さらに慢性化した賃金の上昇と生産性の低下,低い経済成長率 (平均2~3%) などいわゆるイギリス病にとりつかれたことがあげられ,ポンド危機のたびに国際通貨基金 IMFからの引出し,先進国からの借入れ,あるいはポンドの切下げ以外に抜本的な対策をとらなかったことが大きく影響している。 70年6月成立した E.ヒース保守党内閣は財政拡大政策で景気を刺激する一方,ポンドを変動相場制に移行することで従来のようなポンド切下げ措置は不必要となったが,イギリスの経済の体質改善はいっこうに促進されず,国際収支の赤字基調は回復しないままであった。 76年 10月にいたって J.キャラハン労働党内閣はポンドを基軸通貨の地位から降ろすことを宣言,これで国際通貨としての栄光と歴史を誇ったポンドも名実ともにローカル・カレンシー (一国通貨) の地位に転落し,ポンド危機は単なるイギリスの国際収支の赤字問題となった。

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世界大百科事典内のポンド危機の言及

【BIS】より

…さらに国際金融の実務のみならず,先進国中央銀行間の政策協調の場として,国際金融の安定化に寄与している。その代表的な例は1960年代から70年代にかけての再三にわたるイギリスのポンド危機に際しての支援措置である。これはバーゼル協定Basel agreementと呼ばれ,主要国中央銀行とBISがイングランド銀行に対してスワップ取決めにより資金供与を行うものである。…

【ポンド】より

…第1に,戦前は対アメリカ貿易で出超傾向を維持していたスターリング地域が逆に入超を続けることになったため,イギリス本国がみずからの金・ドル準備でこれを補塡(ほてん)せざるをえなくなった。第2に,ポンドの信認低下を象徴するかのように,1946年7月15日(それは〈イギリス・アメリカ金融協定〉の発効日であった)ポンドのドルへの大量逃避が発生し,ついに8月20日ポンドの交換性が停止され,ポンドの落を世界的に印象づけることになった(ポンド危機)。ポンドの将来に対するこうした悪材料は当然ポンド切下げ期待を強める。…

※「ポンド危機」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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