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マクマホン・ライン McMahon Line

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マクマホン・ライン
McMahon Line

1914年に定められた,イギリス統治時代のインドのアッサム州と,当時のチベットとの国境線。マクマーン・ラインともいう。東部ヒマラヤ山頂の分水嶺を約 885kmにわたり走る。 13年 10月~14年7月のシムラ会談で,チベット代表とイギリスの H.マクマホンとの間で成立した。中国の代表も会談に参加したが,チベットは中国の属領であり,条約締結権がない,と主張してシムラ協約への署名を拒否した。以後中国はこの態度を変えず,独立インドとの間に紛争が起り,ついに 62年 10月の中印国境紛争に発展した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マクマホン・ライン
まくまほんらいん
MacMahon-line

1914年3月、イギリス、中国、チベットの三者によるシムラ会議の際、イギリス全権マクマホンSir Arther Henry MacMahon(1862―1949)とチベット全権との間に結ばれたブータン東方のインド北東部とチベット間の境界線。この地域の係争面積は9万平方キロメートルに達する。中国側は正式の署名調印を拒否した。インド側はこの線を中国・インド両国間の国境線と主張し、制圧したが、中国側は認めず、1962年の国境紛争の主要舞台となった。87年2月20日、インド政府はこの地域にアルナーチャルArunachal州を正式に設置したが、その翌日、中国外務省スポークスマンはマクマホン・ラインとアルナーチャル州を承認しないと声明した。その後88年12月、ネルー首相訪中以来34年ぶりにラジブ・ガンディー首相が訪中、平和五原則を再確認して中印国境問題解決のため、合同グループを設置することで合意した。[安藤正士]

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