大学事典 「ミラノ大学」の解説
ミラノ大学[イタリア]
ミラノだいがく
ミラノにある国立総合大学。1447年にミラノの元老院が大学を設立する旨を発布したことがあるが,大学は短期間しか継続せず,ミラノ公国も長くパヴィア大学を公国の大学としてきたため,ミラノ自体に大学が創設されたのは1924年のことである。前年のジェンティーレ改革の影響によって,法学,文哲,医学・外科学,数学・自然科学の4学部で開校。すぐに登録者数ではナポリ,ローマ,パドヴァに次ぐイタリア4番目の大学となった。ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァが創設したカ・グランダ(イタリア)と称された旧救貧病院(イタリア)を大学本部とした。現在も,この建物は事務管理部門と人文学部と法学部などに使用されている。科学系学部は「研究都市」と呼ばれる一帯に置かれている。登録学生数の増大に対応するために,1998年に「第二ミラノ大学(イタリア)」としてミラノ・ビコッカ大学(イタリア)が設立された。ヴァレーゼやコモにキャンパスを拡張すると同時に,ミラノ北部のインスブリア地方にも大学が新設されている。ミラノ大学だけで2011年には32学科10学部(スクオーラ),正教授587人,准教授666人,研究員917人,2016年の登録学生数約5万7000人。
著者: 児玉善仁
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報