コモ(読み)こも(英語表記)Perry Como

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コモ」の意味・わかりやすい解説

コモ(Perry Como)
こも
Perry Como
(1912―2001)

アメリカのポピュラー歌手。ペンシルベニア州キャノンズバーグ生まれ。両親はイタリアからの移民。本名ピエリーノ・コモPierino Como。前職理髪師で14歳のときにすでに自分の店をもっていた。ビングクロスビーに憧れて歌手になり、1933年フレディ・カーロン楽団に参加、36年テッド・ウィームズ楽団に移ってから注目された。42年の楽団の解散と同時にソロ活動に入り、ナイトクラブ出演、CBSラジオでの自身の番組で人気をよび、43年にRCAレコードと契約を交わす。45年『時の終わりまで』Till the End of Timeミリオンセラーを記録してスターの座に着いた。

 映画『サムシング・フォー・ザ・ボーイズ』(1944)、『ドール・フェイス』(1945)など3本に出演。1948年から63年までNBCテレビ(1950~55年はCBSテレビで放送)で「ペリー・コモ・ショー」に出演、歌のうまさと温かい誠実な人柄から「ミスターC」とよばれ、幅広い層に親しまれた。エミー賞(1954・55年度最優秀男性歌手賞、56年度最優秀パーソナリティ賞など)を5回受賞。58年のヒット曲『キャッチ・ア・フォーリング・スター』Catch a Falling Starでは、同年度に開始されたグラミー賞の最優秀男性歌唱賞を受賞した。晩年は87年までRCAで録音を行い、生涯のヒット曲は約160曲、うちミリオンセラーは20曲以上に上る。

青木 啓]


コモ(イタリア)
こも
Como

イタリア北西部、ロンバルディア州コモ県の県都。人口7万8315(2001国勢調査速報値)。コモ湖に面し、ミラノスイスを結ぶ交通の要衝である。起源はガリア人の市場町コムムComum。16世紀以来、羊毛工業と絹工業が栄え、最近では機械工業もある。第二次世界大戦のイタリア降伏後、1945年4月、ムッソリーニパルチザンに捕らえられ、コモ湖畔で銃殺された。コモ湖一帯の観光地帯の中心地でもある。

[堺 憲一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コモ」の意味・わかりやすい解説

コモ
Como

古代名コムム Comum。イタリア北部,ロンバルディア州コモ県の県都。ミラノ北方 40km,コモ湖の南西端にのぞみ,世界的な保養地として有名で別荘も多い。町の歴史は古くケルト人の時代にさかのぼるといわれ,カエサルによってローマの植民地となった。 11世紀に自由都市になったが,まもなくミラノの支配下に入り,ビスコンチ家,スフォルツァ家を経てスペイン,フランス,オーストリアに支配され,1859年ガリバルディによってイタリア領とされた。主産業は中世以来絹織物で,国立絹研究所があり,光学機械,家具などの製造も行われる。 14世紀に建設が開始され,18世紀に完成した大理石の大聖堂,ロマネスク様式の聖堂などが残る。旧市街と近代的な新市街に分れ,中心は新市街に移っている。ミラノとは鉄道と高速道路で結ばれている。人口8万 5955 (1991推計) 。

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