メトロポリタン生命保険(読み)めとろぽりたんせいめいほけん(英語表記)Metropolitan Life Insurance Co.

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アメリカ有数の生命保険会社。メットライフMetLife、メトロポリタン・ライフと略称される。ロックフェラー財閥系の企業として、チェース・マンハッタン(現JPモルガン・チェース)との関係が深いことで知られる。モルガン系の生命保険会社であるプルデンシャル保険とは、つねにアメリカ生保業界のトップの地位を争ってきた。[奥村皓一]

メットライフ発展の軌跡

メトロポリタン生命保険(以下メットライフ)は、南北戦争さなかの1863年にニューヨーク市のビジネスマンたちによって設立されたThe National Union Life and Limb Insurance Co.を前身に、1871年に複数の生命保険会社が合体して設立された。その後、歴史的変遷を経て、1920年代、1930年代の金融大再編の時代にはチェース・ナショナル銀行(後のチェース・マンハッタン銀行)とともにロックフェラー系金融機関の主軸を占めるようになった。
 メットライフは1920年代までは、個人顧客や地域コミュニティの生命保険、健康保険、ウェルフェア(福祉)、住宅、都市環境改善の分野に重点を置く生命保険会社であったが、1929年の大恐慌における不動産価値下落を機に投資先を変化させた。それまでの都市や農村の個人、地域コミュニティ向けの保険・金融サービスから、公益法人の債券、政府証券、都市不動産、大手企業の債券への投資に重点を置く長期金融機関へと変化していった。
 大恐慌下のアメリカでは、ニューディール政策による経済復興(1930年代)、そして戦時生産体制(1939~1945)へと移っていくが、経済復興と失業救済・雇用増大が最大のテーマとなるなか、同社はその中核金融機関としての役割を果たした。失業対策、経済活性化事業の一環でもあったロックフェラー・センター、エンパイア・ステート・ビルディングの建設(1931)に大型融資を行って計画実現に寄与した。政府の住宅建設計画(1920年代に発足)にも協調融資を行い、第二次世界大戦中に完成させた。
 第二次世界大戦の戦時経済下では、メットライフの総資産の51%が戦時国債購入にあてられ、政府と企業の協力事業に対する最大の金融貢献者となった。戦時のメットライフは、ロックフェラー系金融機関としての性格を強めることによって、航空宇宙、石油産業、石油化学事業への融資拡大を行った。ライバルのプルデンシャル保険がIBMを育てたように、メットライフはコンピュータ企業としてアメリカで最初に頭角を現したコンパックCompaqを育てた。第二次世界大戦後は、巨大企業の年金やグループ保険、個人保険、不動産、住宅取得への投資を展開、アメリカ最大クラスの生命保険会社の地位を保ってきた。[奥村皓一]

総合金融サービス業への脱皮

1990年代以降、メットライフは総合金融機関として、収益の要(かなめ)である生命保険部門や資産運用部門以外にも進出拡大を図り、1999年8月にはセントルイスの再保険会社ゼネラル・アメリカン・ライフを12億ドルで買収して再保険業務に進出した。
 さらに21世紀に向けて、相互会社から株式会社組織へと転換し、2000年3月に株式公開の認可を証券取引委員会(SEC)から取り付けた。同社の新規株式公開は、オールドエコノミー(旧型経営)株の株価低迷で、当初の65億ドル規模を半減させたが、アメリカ証券史上で7番目(当時)の大型新規株式公開(IPO)を実現した。アメリカでは1999年に金融制度改革法が成立し、銀行・証券(投資銀行)・保険の業界の垣根が撤廃され、株式公開企業となることで証券や銀行との合併が可能となったが、メットライフはこの制度改革による金融再編の一翼を担おうとした。
 株式公開で資金力を強めたメットライフの最初の展開は、ニューヨークのリテール(小口取引)専門の小型銀行グランドバンクの買収であった。グランドバンク買収のねらいは、全米で銀行業務を展開できる営業要件の取得にあり、電話とインターネットを使った銀行業務を展開し、生保から総合金融機関への脱皮を図ろうというものであった。普通預金口座や貯蓄口座などのリテール業務を始めれば、同社が支払う年間250億ドルの契約者向け保険金の受け皿ができ、個人マネーの取り込みにつながる。とくに同社の顧客基盤は貯蓄性の高い中間層であり、貯蓄口座などの銀行サービスを受け皿として提供すれば、それを足掛りに投資信託や変額年金保険などの金融商品の販売を拡大できる。生命保険市場で北米最大のシェアを誇る同社は、GMやボーイングはじめ巨大企業や政府機関・中堅企業の強固な顧客基盤を武器に、投資銀行やネット金融業務を含めた銀行業務を軌道に乗せようと意図したのである。[奥村皓一]

その後の動き

2001年、設立130周年にあたり、(1)20億ドルの自社株買いによる高株価維持、(2)人員削減、不採算部門の縮小を含む事業見直しによる同時多発テロで被った損失の補填(ほてん)、(3)日本の朝日生命との再保険協定によるアジア保険市場への展開活発化、など保守的なロックフェラー系企業にはみられなかった経営変革プランを発表した。投資銀行部門のプルデンシャル・ベーチェをもつプルデンシャルに遅れをとっていた金融多角化(総合金融機関化)とグローバル展開に着手し始めたのである。1990年代末時点、生命保険加入者は1000万人を超え、年金、グループ保険で融資関係をもつ企業は約6万4000社。『フォーチュン』誌の最大手企業100社中、86社と年金プランや投資サービスで関係をもち、顧客企業の団体保険加入者数は約3300万人に上った。さらに中小企業、政府機関、NGO(非政府機関)とのつながりを強め、国外では10か国以上で業務を展開した。
 2005年にメットライフは、アメリカの大手金融機関シティグループの傘下にある生命保険会社トラベラーズ・ライフ・アンド・アニュイティとシティグループの国外の保険事業を買収した。これに伴って、日本の三井住友海上シティインシュアランス生命保険(シティグループとの合弁)は三井住友海上メットライフ生命保険となった。[奥村皓一・編集部]

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