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メンギスツ Mengistu Haile Mariam

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

メンギスツ
Mengistu Haile Mariam

[生]1937. カファ
エチオピアの軍人,政治家。ホレタ陸軍士官学校卒業後,第3師団勤務となり,少佐に昇進。 1974年4月軍内部に創設された革命の中核組織,軍事調整委員会 (デルグ) の第一副議長として,同年9月 12日のハイレ・セラシエ皇帝廃位,革命的軍事政権 (臨時軍事行政評議会) の設立に指導的役割を果した。エンダルカチュウ・マコンネン元首相,アクリル・ウォルド前首相,軍事調整委員会初代議長テセマ大佐を含む政府,軍部の要人 57人が処刑された「血の土曜日」事件 (1974.11.23.) 以後,臨時軍事行政評議会の第一副議長を兼任。同年 12月 20日の軍事政権による社会主義宣言は,事実上彼によって打出されたものといわれている。 77年2月3日臨時軍事行政評議会議長テフェリ・ベンティ准将が反革命的であるという理由で殺害されると,そのあとをうけて同評議会議長に就任し,名実ともにエチオピア革命の第一の指導者となった。その後マルクス=レーニン主義による社会主義建設を目指し,87年9月の民政移管 (エチオピア人民共和国の創設) とともに初代大統領に就任したが,冷戦終結後の 91年5月,ゲリラ勢力が首都を包囲するなかで国外に脱出,ジンバブエに亡命した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

メンギスツ
めんぎすつ
Mengistu Haile Mariam
(1937― )

エチオピアの軍人、政治家。少数民族の貧民の子に生まれ、ホレタ陸軍士官学校を卒業。少佐として陸軍第三師団在勤中に起こった軍隊の反乱が革命へと転化する過程で、デルグ(軍事調整委員会)副議長として台頭し、さらに議長として革命の指導権を握った。1974年9月ハイレ・セラシエ皇帝の廃位とともに軍事政府(臨時軍事行政評議会)が成立すると、これを背後から操作し、マルクス主義的な路線にたって革命を推進した。1977年臨時軍事行政評議会の3代目議長に就任、名実ともに革命の第一の指導者となった。1984年民政復帰への第一歩として創設されたエチオピア労働党(WPE)の初代書記長に、1987年9月民政移管と同時に初代大統領に就任した。しかし、1991年5月反政府勢力エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)に首都を包囲され、ジンバブエに亡命した。その後、メレス政権によって大量殺戮(さつりく)などの人道に対する罪で起訴され、1995年、アディス・アベバにて欠席裁判が行われた。2008年5月エチオピア最高裁は死刑の判決を下した。[小田英郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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