ラウントリー
Benjamin Seebohm Rowntree
生没年:1871-1954
貧困調査実施などで著名なイギリスの社会調査家。ヨークで開明的事業家(ココア,チョコレート製造)の子として18歳で家業に従事し,後には責任者となる。オーエン・カレッジ中退後,高賃金,高能率を主張し,企業内福祉に努力している。C.ブースのロンドン調査に啓発され,ヨークの貧困調査(3回にわたる)を実施した。第1回調査(1899実施)では2種の貧乏線poverty lineを設定しているが,一次貧困とは,その収入が栄養基準を基礎として,絶対的な肉体的能率の維持にも不足する世帯,二次貧困とは飲酒,賭博などに消費されない限りは充足できる世帯をいう。その結果,一次貧困での貧困率は,対総人口9.9%,対労働階級人口15.5%という高きをみた。第2回調査(1935-36)では貧困基準をやや高めて対人口17.7%,対労働階級31.1%の増加をみた(ただし物価改定のみの第1回調査基準では対人口3.9%,対労働階級6.8%と第1回より貧困率は半減)。第3回調査(1950)では対人口1.66%,対労働階級2.77%と激減している。ラウントリーはこれをイギリスの社会福祉によるものとした。彼は貧困測定と合わせて,貧困原因,家族周期別貧困,住宅問題,余暇問題などの究明を行い,労働者福祉,失業対策,老人福祉などの推進を絶えず目指した。また栄養や余暇に関する著書が別にある。ただ統計学進歩への立遅れや第3回調査での楽観的にすぎる貧困観などには批判もある。
→貧困
執筆者:小沼 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内のラウントリーの言及
【最低生活費】より
…最も低い生活費ではなく,生活を維持するために最低限必要とされる生活費の意味であるが,それの具体的内容となると,いくつかの見解がある。[B.S.ラウントリー]が貧乏測定のために算出した[貧乏線]は,〈単なる肉体的な能率を維持できる生活費〉の意味であったが,のちに彼は最低賃金の基準にすべきだとする〈人間的必要生活費〉を算定している。前者は動物的生存ともいうべきもの,後者はそれに文化的必要を加味したものであった。…
【ナショナル・ミニマム】より
…労働組合運動と共済組合活動にゆだねられていた労働者の生活保障問題について,彼らは一定の条件以下ではいかなる産業も経営されることが許されないようなルールを策定することの必要を主張し,衛生と安全,余暇と賃金に関する法律によってナショナル・ミニマムを確保することを企図していた。福祉国家イギリスを形成する重要な契機となった1942年の[ベバリッジ報告]の基本理念もまたナショナル・ミニマム論に拠っていたが,ベバリッジの構想する社会保障制度におけるこの概念は,[B.S.ラウントリー]によって作成された最低生計費の水準に基づく所得保障を意味するものであった。すなわち,イギリスの社会福祉政策の基礎にあるナショナル・ミニマム概念は,ウェッブ夫妻においては,賃金,労働時間,住宅,公衆衛生,教育,環境などにわたるきわめて包括的なものであったのに対して,ベバリッジ報告においては,最低限の生存費を意味するものへとニュアンスを変えてきており,今日では一般に後者の観点から国民の最低限度の生活保障を論じる場合に用いられる概念となっている。…
【貧困】より
…絶対的から相対的へという貧困認識の変化の過程で,貧困の再発見rediscovery of povertyが行われている。[B.S.ラウントリー]が1950年調査で貧困率の極度の減少を実証し,イギリス福祉国家による貧困解消がなされているとしたのに対し,逆にピーター・タウンゼントは60年ころの貧困の膨大な存在を再認識することを主張した。同じころアメリカでM.ハリングトンは,3種の新しい貧困(技術進歩に追いつけない非熟練労働者,社会的脱落者,はみ出た農業労働者など社会経済発展の目まぐるしさの陰に生じた貧困)を指摘した。…
【貧乏線】より
…貧困線と訳すこともある。イギリスの[B.S.ラウントリー]が貧困者数を統計的に推定するために提起した。日本では生活保護基準がそれに相当し,その水準に満たない低所得者は生活保護制度の適用をうけることができる。…
※「ラウントリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」