改訂新版 世界大百科事典 「住宅問題」の意味・わかりやすい解説
住宅問題 (じゅうたくもんだい)
housing problem
住居は人間の生存と生活の基盤であり,生命の安全と健康と人間の尊厳を守り,家庭生活の器として市民をはぐくみ,まちと文化をつくる最も基本的な人間環境であり,社会の基礎単位である。住居は都市の構成要素であるから,低質住宅の集積は不良都市形成の原因となる。住居は風土と生活に根ざして生活文化をつくり,人々の安定した居住はコミュニティを形成して暮しを支え,民主主義の土壌形成に寄与する。個々の住居は私的で小さな存在であっても,その全体は社会的資産であり,社会に対して大きな影響をもつ。住居の問題は住宅自体の貧困,居住環境の劣悪な状態,住居費の高負担,遠距離通勤等々,人間性や市民社会の形成を損ない,暮しの維持を困難にする。しかし,資本主義社会において住宅は一般に商品として利潤追求の対象となる結果,住宅の量的不足,低質住宅地の形成,家計の破壊等が生じ,人間と社会を脅かすことになる。
現代日本の状況
日本では住宅の小規模ゆえに核家族化を余儀なくされたり,民間借家の家主は高齢者に家を貸したがらなかったり,部屋の狭さや住居内外の段差などによる歩行・外出困難等々から高齢者は安住する住居を見つけることができない場合が多く,病院通い,長期入院,寝たきり化,在宅介護の困難等の背景にもなっている。住宅問題は高齢化社会を迎える日本にとって,生存の不安や国家財政破綻の一因になる可能性がある(厚生省による〈高齢者の介護費用〉推計は,1995年2.2兆円,2000年4.2兆円,2005年5.5兆円,2010年6.9兆円)。また年金等の社会保障制度の不備と国民の居住保障に責任をもたない住宅政策は,〈住居さえ安定していれば生活できるのでは〉という〈社会保障代替機能〉としての持家指向に人々を追いこみ,低質住宅のはんらんと住宅ローン返済の困難による生活破壊,犯罪,心中,一家離散その他数々の悲劇を生じている。住宅の狭さ,住環境の危険,公園・遊園地などのオープン・スペースの不足等は子どもの心身の発達を阻み,骨折しやすい子どもや登校拒否,非行の多発その他の原因ともなっている。自然と住環境の改善なしには真の教育環境の回復は困難である。また現代の病気は,かつての伝染性疾患に代わって持病,成人病,慢性病が主流を占めているが,これらは公害,過密居住,不良住環境などと密接な関係があり,その改善なしに健康を守ることが困難な時代になっている。
このような住居の意義と日本の現状を明示したのは1995年1月17日の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)であった。地震による直接の死者5502人,負傷者4万1502人,行方不明2人。家屋の損壊33万8219棟,被災世帯40万6337世帯(《防災白書》)。犠牲者の88%は家屋の倒壊による圧死・窒息死で,10%の焼死者も家が倒れなければ逃げられた。2%は狭い部屋でのテレビなどの落下物による。震災は明らかに〈住宅災害〉であった。犠牲者の中には古い豪邸や新築の欠陥住宅に住んでいる人もいたが,1万~3万円の家賃の低質老朽住宅に住む人が多かった。戦後の自助努力,市場原理による住宅・土地政策のつけであった。犠牲者の53.1%は60歳以上,33.7%は70歳以上で〈高齢者災害〉でもあった。住宅と住宅政策が現状のままでの在宅介護は高齢者の命を危うくする。住み慣れた町から離れた山の中や人工島での仮設住宅住まいでの孤独死は二百数十人に及んだが,高齢者を中心に人間生存にとってのコミュニティの重要性を証明するものでもあった。医療や福祉などの個人サービスは一種の消費であり,そのつど消えていく性格をもっている。それにくらべ安全で快適で安心して住みつづけられる住居やまちは絶えざる財政支出を伴わずに子孫に受け継がれ,〈健康・福祉資本〉として人々の安全な暮しの基盤となっていく。病気になってからの治療,認知症や寝たきりになってからの介護サービスの前に,病気や寝たきりにならない予防医療・予防福祉がこれからの社会の基本理念となるべきである。〈居住福祉〉の確立なしに,高齢化社会は成立しないであろう。そのような居住環境は防災にもつながる。
土地問題との関係
住宅建設は土地なしに存在しえないから,住宅問題は土地問題としての様相を呈する。地価は土地の私的所有を契機として形成されるものであり,住宅問題の解決に熱心な西欧先進国は土地投機の抑制,厳密な土地利用計画と利用規制,公有地の拡大,開発利益の吸収,大量の公的住宅供給を中心とする住宅政策,土地政策によって,この問題に対処してきた。日本では地価が高いので住宅問題の解決が困難といわれることが多いが,住宅・宅地供給を市場原理に委ねるなどしているから地価が高騰しているのであって,政府が国民の居住保障に責任を持とうとすれば,土地投機の禁止,住居優先の土地利用計画,産業業務機能の大都市集中の抑制等々の土地・都市政策を確立しなければならないが,現実には土地利用の市場原理化や都市集中促進の政策を進めている。住宅問題解決の困難を高地価のせいにするのは本末転倒の議論である。
歴史
産業革命は大量の人口を農村から都市へ労働者として急速に移動・集中させた。労働者は都市で家賃を支払って住宅を借りるが,低賃金のため家賃支払能力が低く,住居の質はきわめて劣悪なものになった。また住宅経営は巨額の資金と長期にわたる回収期間を要するうえ,その間資本主義社会の好・不況の波はたえず空家の発生・家賃の不払い等の危険を生じるため,住宅供給はたえず少なめにしか行われない。こうして労働者住宅は量・質の両面から悪化することになった。産業革命が最初に起こったイギリスをみると,家族は,狭くて日も射さず風通しの悪い住宅の中で一つのベッドに数人が折り重なるように寝起きした。また排水施設の不備・飲用水の汚染等による伝染病の発生,飲酒癖等が一般化し,資本主義経済に不可欠の労働力を消耗・枯渇させ,資本主義社会の存立を脅かすものとなった。労働者の住居の貧困は低賃金・搾取という資本主義社会の体質に根ざすものであるが,ここにその根本的解決とは離れた労働者階級の〈住宅問題〉が社会問題として資本家・支配者の側からとりあげられ,〈住宅政策〉が行われることになる。住宅問題が最初に登場したイギリスでは1830-32年,コレラが大流行し数十万人が死亡した。42年,E.チャドウィックは実情を医師,労働者らの協力を得て調査し,結果を《イギリスにおける労働者階級の衛生状態》として報告した。その中で彼は労働者住居の衛生状態,都市計画の不備が死亡率を高め,救貧支出を増大させていること,都市整備のための行政投資が治安対策,衛生・消防・福祉費用の節約効果をもつことなどを明らかにし,住宅・都市・衛生政策の必要性を訴えた。その結果,48年公衆衛生法が制定され,上下水道・道路整備等都市環境整備へ衛生面からの公的介入が行われるようになった。一方,住宅に関しても51年のシャフツベリー法に始まる住宅立法が相次いだ(〈スラム・クリアランス〉の項参照)。そして,1909年の都市計画および住居法において,(1)都市公共施設の整備,(2)不良住宅地区の改善,(3)新しい不良住宅抑制のための建築制限,(4)人間の居住に適さない住宅についてその持主に対する閉鎖・改善命令を規定した住居監視員制度,(5)低所得者に対する公営住宅の直接供給という住宅政策の体系をつくりあげた。
一方,1898年E.ハワードは田園都市論を提唱しニュータウンの理論的基礎を提供した。その影響を受けて第2次大戦後各国は,戦災で失われた住宅を供給するため,数多くのニュータウンを建設した。資本主義経済体制の市場原理によっては,良質の住宅を供給しえない,と認識する西欧先進諸国は,ニュータウンと都市再開発を通じて公共住宅の大量建設を進め,イギリスは1945-78年の間の総建設戸数の58.6%を公共住宅として,旧西ドイツは1951-78年に42.6%を無利子・100年返済の資金による社会住宅として建設した。しかしニュータウンは一方で都市域を拡大させ,また古い住宅地をクリアランスする再開発の手法は,コミュニティを壊すことへの反省から,1970年代からは既成市街地内の住宅を修復・改造する都市再生事業が欧米の住宅都市政策の中心課題になっている。これは都心の住宅の再生と人口呼戻し,歴史的街並みの保全,コミュニティの維持等を狙いとしたものであるが,住宅修復の結果,家賃が上昇する等の新しい問題も起こっている。
住宅建設,とくに鉄筋コンクリートを中心とした不燃住宅の建設は,鉄,セメント,ガラス等の基幹産業の製品から木材,畳まで幅広い建築材料を使用し,また入居後消費者は多数の家具・調度類を購入する等から産業経済への波及効果が最も大きい投資とみられてきた。日本の住宅政策は第2次大戦前は軍需労働力の確保,戦後は景気浮揚の手段として使われ,70年代後半からは不動産企業による利潤追求の対象としての性格が強まり,それを援助するために公共住宅はいっそう削減され,勤労者が良質の住宅を家計の適切な負担で確保することはきわめて困難になっている。
1995年6月,建設大臣の諮問機関である住宅宅地審議会は〈新しい住宅政策の体系〉として〈国,地方公共団体等の公的主体による直接供給,公的支援を中心とするこれまでの“住宅政策体系”を改め,市場原理に力点を移す〉よう答申した。これを受けて96年6月,公営住宅法が改正され,入居資格を全所得階層の下から33%(1996年現在。1951年には88%)を25%にまで下げるなどとした。これによって低所得層の住宅問題はいっそう深刻になるだろう。また震災の経験が生かされていないといえよう。
住宅の国際比較
日本と諸外国の住宅を比較すると,1戸当り平均室数はドイツ4.45(1987),イギリス4.9(1991),スウェーデン4.3(1991),アメリカ5.5,日本4.9(1993)で,欧米並みの水準と説明されている(1996年《国民生活白書》)。しかし西欧諸国では,寝室,居間,トイレ,台所,物置がないと住宅とは認められない。また,たいていの国の主寝室は内法(うちのり)で12m2以上,居間はスウェーデン20m2以上,イギリス15m2以上等であり,台所はいずれも食事のできることが必要だが室数には入らない。これに対して日本では,最低基準のない居室が一つと共用の入口,トイレ,台所があれば一戸の住宅と認められる。台所も板の間部分が3畳以上あれば1室とし,床面積は壁心で測る。またアメリカ,ドイツ等では地下室の存在が一般的であるが,これは室数には算入されない。
このようなことを前提に室数を比較することは不適切である。1993年現在,日本の世帯数は約4097万,住宅は約4588万戸である。住宅数は世帯の数より約12%多いことになる。しかし住宅の名に値するものがどれだけあるか疑問である。老朽化や過密危険住宅を考慮に入れると,人間が住むにふさわしい住居の数は大幅に減るだろう。欧米では少なくとも100年以上の寿命の長い住宅を社会のストックとなるように計画的に建設しているのに対し,日本は平均20~30年の寿命である。
日本の住宅建設戸数は決して少なくない。1988年から93年の5年間に建設された新築住宅戸数は約760万戸である。ところが88年当時の全住宅戸数約4201万戸に対し93年は約4588万戸で,387万戸しか増えていない。その差373万戸は滅失である。建設省滅失統計によると,この間の滅失の理由は,(1)火災,地震,風水害などの災害3.1%,(2)危険な老朽住宅の取壊し34.2%,(3)道路建設や都市再開発62.7%で,スクラップ・アンド・ビルドの都市開発の激しさがわかる。これでは住宅建設もストックにならず,住宅事情は改善されない。コミュニティは破壊され,大量の建築資源・エネルギーを消費し建設廃材を生む。産業廃棄物問題や地球環境問題はこのような都市・住宅政策とかかわっている。
住宅運動
住宅運動とは,居住の権利獲得の闘争であり一種の人権運動である。それによって政府や地方自治体などの政策形成に一定の譲歩を迫り,〈居住権〉の確保を目指している。歴史的に最も早い運動は借地・借家人の運動である。住宅供給が民間貸家経営者にまかされていた時期に出現した運動で,借地・借家人が地主・家主の地代・家賃値上げ,立退き等に反対する運動である。イギリスでは1915年にグラスゴーの借家人組合と婦人協会が家賃ストライキを組織し2万世帯が参加し,家賃増額分の不払い,低家賃公共住宅の供給等を要求した。労働組合と労働党はこれを支持し,政府が借家人の要求を受け入れない場合は工場ストライキを辞さないとした。その結果,同年家賃・ローン利子制限法が制定され,自治体による公営住宅供給が義務づけられ,その後のイギリスの住宅政策展開の基礎となった。日本でも第1次大戦後の不況に伴う失業・低賃金等は借家人の家賃負担を大きくし借家争議が相次いだ。1922年,弁護士布施辰治および友愛会会員により〈借家人同盟〉が結成され,全国に広がった。しかし戦争とともに弾圧され消滅した。第2次大戦による膨大な住宅不足は,敗戦後,借地・借家人運動を再生させ,67年全国借地借家人組合の結成に至る。一方,戦後の公共住宅の供給増とともに公共住宅居住者の運動が始まり,1962年に全国公営住宅協議会,70年に全国公団住宅自治会協議会,75年に全国公社住宅協議会が結成された。これらはいずれも住宅問題が激化した高度成長期に家賃値上げ反対,収入超過者の住居明渡し(公営住宅)反対等が結成の契機となった。そして地方自治体,日本住宅公団(現,住宅・都市整備公団)を相手に裁判闘争にまで発展した。また75年,福岡市在住の単身老人17人は公営住宅が単身者の入居申込みを受け付けないことは憲法違反であるとして裁判に持ちこみ,80年政府は女子50歳,男子55歳以上の単身者は29m2以下の中古住宅に限り入居を認める公営住宅法の改正を行った。
1960年代後半からヨーロッパ諸国では空家占拠運動が広がり,住宅政策の充実を求める声が高まった。その主張の中には,人間にふさわしい住居に住むことは国民の基本的権利だという認識がある。欧米諸国のこのような住意識は日本ではきわめて弱い。一般的な人権意識の弱さ,歴史的に貧しい住居観,住居の確保を自己責任とする戦後の持家中心の住宅政策の影響が大きいと思われる。また賃上げには熱心でも住宅政策の充実に大きな関心をもたない労働組合団体の体質も住宅要求運動の形成を阻んでいる。1982年,日本の住宅事情が家庭,社会,文化等に与えている影響の深刻さはもはや放置できない状態にあり,人間にふさわしい住居に住むことを国民の基本的権利として英知を結集し,人間の尊厳が守れるような住宅と環境を実現しよう,という主張のもとに多方面の学者,弁護士,医師,保健婦,教師,自治体職員,労働組合員,市民等の参加する日本住宅会議が設立され,啓蒙・研究活動に取り組んでいる。住宅問題は社会的に生じている現象であり,個人の力では解決できない。その解決には強力な住宅・土地政策の展開が必要であり,西欧先進諸国はそれを住居法として結実させ,それによって高い住居水準と優れた住環境を実現してきたのであるが,その背景には国民各層の住居に対する権利意識と政府に対する強い要求運動が存在する。日本の住居の改善はそのような世論がどのようにして形成されるかにかかっているといえる。
世界を見渡しても居住問題は大きな社会問題となっている。1980年代のレーガン,サッチャー政権による新保守主義のもとで住宅政策は大幅に後退し,大量のホームレスを生むなど住宅問題を深刻化させた。その一方で,アメリカを中心にNGO,NPO,宗教団体等による低所得層向け住宅の供給とコミュニティ再生の運動などが広がっている。1996年6月,第2回国連人間居住会議(ハビタットII)は〈居住の権利〉宣言を採択,(1)〈居住の権利〉を独立した権利概念として国際文書で示す,(2)各国政府は居住の権利を完全かつ前進的に充実する義務を負う,(3)持続的な人間居住の実現を図る,(4)居住者参加による住む能力の発展と国際連帯等を掲げた。開発途上国の難民問題,先進国のホームレス,女性・子ども・少数民族の差別,地球環境問題,民族紛争,平和問題等々のどれひとつ取り上げても,人間にふさわしい居住の確保と安定なしには解決しない,という認識である。21世紀に向かって住宅問題は人類の新しい課題として登場しているといえる。
執筆者:早川 和男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報