住宅問題(読み)じゅうたくもんだい(その他表記)housing problem

改訂新版 世界大百科事典 「住宅問題」の意味・わかりやすい解説

住宅問題 (じゅうたくもんだい)
housing problem

住居は人間の生存と生活の基盤であり,生命の安全と健康と人間の尊厳を守り,家庭生活の器として市民をはぐくみ,まちと文化をつくる最も基本的な人間環境であり,社会の基礎単位である。住居は都市の構成要素であるから,低質住宅の集積は不良都市形成の原因となる。住居は風土と生活に根ざして生活文化をつくり,人々の安定した居住はコミュニティを形成して暮しを支え,民主主義土壌形成に寄与する。個々の住居は私的で小さな存在であっても,その全体は社会的資産であり,社会に対して大きな影響をもつ。住居の問題は住宅自体の貧困,居住環境の劣悪な状態,住居費の高負担,遠距離通勤等々,人間性や市民社会の形成を損ない,暮しの維持を困難にする。しかし,資本主義社会において住宅は一般に商品として利潤追求の対象となる結果,住宅の量的不足,低質住宅地の形成,家計の破壊等が生じ,人間と社会を脅かすことになる。

日本では住宅の小規模ゆえに核家族化を余儀なくされたり,民間借家の家主は高齢者に家を貸したがらなかったり,部屋の狭さや住居内外の段差などによる歩行・外出困難等々から高齢者は安住する住居を見つけることができない場合が多く,病院通い,長期入院,寝たきり化,在宅介護の困難等の背景にもなっている。住宅問題は高齢化社会を迎える日本にとって,生存の不安や国家財政破綻の一因になる可能性がある(厚生省による〈高齢者の介護費用〉推計は,1995年2.2兆円,2000年4.2兆円,2005年5.5兆円,2010年6.9兆円)。また年金等の社会保障制度の不備と国民の居住保障に責任をもたない住宅政策は,〈住居さえ安定していれば生活できるのでは〉という〈社会保障代替機能〉としての持家指向に人々を追いこみ,低質住宅のはんらんと住宅ローン返済の困難による生活破壊,犯罪,心中,一家離散その他数々の悲劇を生じている。住宅の狭さ,住環境の危険,公園・遊園地などのオープン・スペースの不足等は子どもの心身の発達を阻み,骨折しやすい子どもや登校拒否,非行の多発その他の原因ともなっている。自然と住環境の改善なしには真の教育環境の回復は困難である。また現代の病気は,かつての伝染性疾患に代わって持病,成人病,慢性病が主流を占めているが,これらは公害,過密居住,不良住環境などと密接な関係があり,その改善なしに健康を守ることが困難な時代になっている。

 このような住居の意義と日本の現状を明示したのは1995年1月17日の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)であった。地震による直接の死者5502人,負傷者4万1502人,行方不明2人。家屋の損壊33万8219棟,被災世帯40万6337世帯(《防災白書》)。犠牲者の88%は家屋の倒壊による圧死・窒息死で,10%の焼死者も家が倒れなければ逃げられた。2%は狭い部屋でのテレビなどの落下物による。震災は明らかに〈住宅災害〉であった。犠牲者の中には古い豪邸や新築の欠陥住宅に住んでいる人もいたが,1万~3万円の家賃の低質老朽住宅に住む人が多かった。戦後の自助努力市場原理による住宅・土地政策のつけであった。犠牲者の53.1%は60歳以上,33.7%は70歳以上で〈高齢者災害〉でもあった。住宅と住宅政策が現状のままでの在宅介護は高齢者の命を危うくする。住み慣れた町から離れた山の中や人工島での仮設住宅住まいでの孤独死は二百数十人に及んだが,高齢者を中心に人間生存にとってのコミュニティの重要性を証明するものでもあった。医療や福祉などの個人サービスは一種の消費であり,そのつど消えていく性格をもっている。それにくらべ安全で快適で安心して住みつづけられる住居やまちは絶えざる財政支出を伴わずに子孫に受け継がれ,〈健康・福祉資本〉として人々の安全な暮しの基盤となっていく。病気になってからの治療,認知症や寝たきりになってからの介護サービスの前に,病気や寝たきりにならない予防医療・予防福祉がこれからの社会の基本理念となるべきである。〈居住福祉〉の確立なしに,高齢化社会は成立しないであろう。そのような居住環境は防災にもつながる。

住宅建設は土地なしに存在しえないから,住宅問題は土地問題としての様相を呈する。地価は土地の私的所有を契機として形成されるものであり,住宅問題の解決に熱心な西欧先進国は土地投機の抑制,厳密な土地利用計画と利用規制,公有地の拡大,開発利益の吸収,大量の公的住宅供給を中心とする住宅政策,土地政策によって,この問題に対処してきた。日本では地価が高いので住宅問題の解決が困難といわれることが多いが,住宅・宅地供給を市場原理に委ねるなどしているから地価が高騰しているのであって,政府が国民の居住保障に責任を持とうとすれば,土地投機の禁止,住居優先の土地利用計画,産業業務機能の大都市集中の抑制等々の土地・都市政策を確立しなければならないが,現実には土地利用の市場原理化や都市集中促進の政策を進めている。住宅問題解決の困難を高地価のせいにするのは本末転倒の議論である。

産業革命は大量の人口を農村から都市へ労働者として急速に移動・集中させた。労働者は都市で家賃を支払って住宅を借りるが,低賃金のため家賃支払能力が低く,住居の質はきわめて劣悪なものになった。また住宅経営は巨額の資金と長期にわたる回収期間を要するうえ,その間資本主義社会の好・不況の波はたえず空家の発生・家賃の不払い等の危険を生じるため,住宅供給はたえず少なめにしか行われない。こうして労働者住宅は量・質の両面から悪化することになった。産業革命が最初に起こったイギリスをみると,家族は,狭くて日も射さず風通しの悪い住宅の中で一つのベッドに数人が折り重なるように寝起きした。また排水施設の不備・飲用水の汚染等による伝染病の発生,飲酒癖等が一般化し,資本主義経済に不可欠の労働力を消耗・枯渇させ,資本主義社会の存立を脅かすものとなった。労働者の住居の貧困は低賃金・搾取という資本主義社会の体質に根ざすものであるが,ここにその根本的解決とは離れた労働者階級の〈住宅問題〉が社会問題として資本家・支配者の側からとりあげられ,〈住宅政策〉が行われることになる。住宅問題が最初に登場したイギリスでは1830-32年,コレラが大流行し数十万人が死亡した。42年,E.チャドウィックは実情を医師,労働者らの協力を得て調査し,結果を《イギリスにおける労働者階級の衛生状態》として報告した。その中で彼は労働者住居の衛生状態,都市計画の不備が死亡率を高め,救貧支出を増大させていること,都市整備のための行政投資が治安対策,衛生・消防・福祉費用の節約効果をもつことなどを明らかにし,住宅・都市・衛生政策の必要性を訴えた。その結果,48年公衆衛生法が制定され,上下水道・道路整備等都市環境整備へ衛生面からの公的介入が行われるようになった。一方,住宅に関しても51年のシャフツベリー法に始まる住宅立法が相次いだ(〈スラム・クリアランス〉の項参照)。そして,1909年の都市計画および住居法において,(1)都市公共施設の整備,(2)不良住宅地区の改善,(3)新しい不良住宅抑制のための建築制限,(4)人間の居住に適さない住宅についてその持主に対する閉鎖・改善命令を規定した住居監視員制度,(5)低所得者に対する公営住宅の直接供給という住宅政策の体系をつくりあげた。

 一方,1898年E.ハワード田園都市論を提唱しニュータウンの理論的基礎を提供した。その影響を受けて第2次大戦後各国は,戦災で失われた住宅を供給するため,数多くのニュータウンを建設した。資本主義経済体制の市場原理によっては,良質の住宅を供給しえない,と認識する西欧先進諸国は,ニュータウンと都市再開発を通じて公共住宅の大量建設を進め,イギリスは1945-78年の間の総建設戸数の58.6%を公共住宅として,旧西ドイツは1951-78年に42.6%を無利子・100年返済の資金による社会住宅として建設した。しかしニュータウンは一方で都市域を拡大させ,また古い住宅地をクリアランスする再開発の手法は,コミュニティを壊すことへの反省から,1970年代からは既成市街地内の住宅を修復・改造する都市再生事業が欧米の住宅都市政策の中心課題になっている。これは都心の住宅の再生と人口呼戻し,歴史的街並みの保全,コミュニティの維持等を狙いとしたものであるが,住宅修復の結果,家賃が上昇する等の新しい問題も起こっている。

 住宅建設,とくに鉄筋コンクリートを中心とした不燃住宅の建設は,鉄,セメント,ガラス等の基幹産業の製品から木材,畳まで幅広い建築材料を使用し,また入居後消費者は多数の家具・調度類を購入する等から産業経済への波及効果が最も大きい投資とみられてきた。日本の住宅政策は第2次大戦前は軍需労働力の確保,戦後は景気浮揚の手段として使われ,70年代後半からは不動産企業による利潤追求の対象としての性格が強まり,それを援助するために公共住宅はいっそう削減され,勤労者が良質の住宅を家計の適切な負担で確保することはきわめて困難になっている。

 1995年6月,建設大臣諮問機関である住宅宅地審議会は〈新しい住宅政策の体系〉として〈国,地方公共団体等の公的主体による直接供給,公的支援を中心とするこれまでの“住宅政策体系”を改め,市場原理に力点を移す〉よう答申した。これを受けて96年6月,公営住宅法が改正され,入居資格を全所得階層の下から33%(1996年現在。1951年には88%)を25%にまで下げるなどとした。これによって低所得層の住宅問題はいっそう深刻になるだろう。また震災の経験が生かされていないといえよう。

日本と諸外国の住宅を比較すると,1戸当り平均室数はドイツ4.45(1987),イギリス4.9(1991),スウェーデン4.3(1991),アメリカ5.5,日本4.9(1993)で,欧米並みの水準と説明されている(1996年《国民生活白書》)。しかし西欧諸国では,寝室,居間,トイレ,台所,物置がないと住宅とは認められない。また,たいていの国の主寝室は内法(うちのり)で12m2以上,居間はスウェーデン20m2以上,イギリス15m2以上等であり,台所はいずれも食事のできることが必要だが室数には入らない。これに対して日本では,最低基準のない居室が一つと共用の入口,トイレ,台所があれば一戸の住宅と認められる。台所も板の間部分が3畳以上あれば1室とし,床面積は壁心で測る。またアメリカ,ドイツ等では地下室の存在が一般的であるが,これは室数には算入されない。

 このようなことを前提に室数を比較することは不適切である。1993年現在,日本の世帯数は約4097万,住宅は約4588万戸である。住宅数は世帯の数より約12%多いことになる。しかし住宅の名に値するものがどれだけあるか疑問である。老朽化や過密危険住宅を考慮に入れると,人間が住むにふさわしい住居の数は大幅に減るだろう。欧米では少なくとも100年以上の寿命の長い住宅を社会のストックとなるように計画的に建設しているのに対し,日本は平均20~30年の寿命である。

 日本の住宅建設戸数は決して少なくない。1988年から93年の5年間に建設された新築住宅戸数は約760万戸である。ところが88年当時の全住宅戸数約4201万戸に対し93年は約4588万戸で,387万戸しか増えていない。その差373万戸は滅失である。建設省滅失統計によると,この間の滅失の理由は,(1)火災,地震,風水害などの災害3.1%,(2)危険な老朽住宅の取壊し34.2%,(3)道路建設や都市再開発62.7%で,スクラップ・アンド・ビルドの都市開発の激しさがわかる。これでは住宅建設もストックにならず,住宅事情は改善されない。コミュニティは破壊され,大量の建築資源・エネルギーを消費し建設廃材を生む。産業廃棄物問題や地球環境問題はこのような都市・住宅政策とかかわっている。

住宅運動とは,居住の権利獲得の闘争であり一種の人権運動である。それによって政府や地方自治体などの政策形成に一定の譲歩を迫り,〈居住権〉の確保を目指している。歴史的に最も早い運動は借地・借家人の運動である。住宅供給が民間貸家経営者にまかされていた時期に出現した運動で,借地・借家人が地主・家主の地代・家賃値上げ,立退き等に反対する運動である。イギリスでは1915年にグラスゴーの借家人組合と婦人協会が家賃ストライキを組織し2万世帯が参加し,家賃増額分の不払い,低家賃公共住宅の供給等を要求した。労働組合と労働党はこれを支持し,政府が借家人の要求を受け入れない場合は工場ストライキを辞さないとした。その結果,同年家賃・ローン利子制限法が制定され,自治体による公営住宅供給が義務づけられ,その後のイギリスの住宅政策展開の基礎となった。日本でも第1次大戦後の不況に伴う失業・低賃金等は借家人の家賃負担を大きくし借家争議が相次いだ。1922年,弁護士布施辰治および友愛会会員により〈借家人同盟〉が結成され,全国に広がった。しかし戦争とともに弾圧され消滅した。第2次大戦による膨大な住宅不足は,敗戦後,借地・借家人運動を再生させ,67年全国借地借家人組合の結成に至る。一方,戦後の公共住宅の供給増とともに公共住宅居住者の運動が始まり,1962年に全国公営住宅協議会,70年に全国公団住宅自治会協議会,75年に全国公社住宅協議会が結成された。これらはいずれも住宅問題が激化した高度成長期に家賃値上げ反対,収入超過者の住居明渡し(公営住宅)反対等が結成の契機となった。そして地方自治体,日本住宅公団(現,住宅・都市整備公団)を相手に裁判闘争にまで発展した。また75年,福岡市在住の単身老人17人は公営住宅が単身者の入居申込みを受け付けないことは憲法違反であるとして裁判に持ちこみ,80年政府は女子50歳,男子55歳以上の単身者は29m2以下の中古住宅に限り入居を認める公営住宅法の改正を行った。

 1960年代後半からヨーロッパ諸国では空家占拠運動が広がり,住宅政策の充実を求める声が高まった。その主張の中には,人間にふさわしい住居に住むことは国民の基本的権利だという認識がある。欧米諸国のこのような住意識は日本ではきわめて弱い。一般的な人権意識の弱さ,歴史的に貧しい住居観,住居の確保を自己責任とする戦後の持家中心の住宅政策の影響が大きいと思われる。また賃上げには熱心でも住宅政策の充実に大きな関心をもたない労働組合団体の体質も住宅要求運動の形成を阻んでいる。1982年,日本の住宅事情が家庭,社会,文化等に与えている影響の深刻さはもはや放置できない状態にあり,人間にふさわしい住居に住むことを国民の基本的権利として英知を結集し,人間の尊厳が守れるような住宅と環境を実現しよう,という主張のもとに多方面の学者,弁護士,医師,保健婦,教師,自治体職員,労働組合員,市民等の参加する日本住宅会議が設立され,啓蒙・研究活動に取り組んでいる。住宅問題は社会的に生じている現象であり,個人の力では解決できない。その解決には強力な住宅・土地政策の展開が必要であり,西欧先進諸国はそれを住居法として結実させ,それによって高い住居水準と優れた住環境を実現してきたのであるが,その背景には国民各層の住居に対する権利意識と政府に対する強い要求運動が存在する。日本の住居の改善はそのような世論がどのようにして形成されるかにかかっているといえる。

 世界を見渡しても居住問題は大きな社会問題となっている。1980年代のレーガン,サッチャー政権による新保守主義のもとで住宅政策は大幅に後退し,大量のホームレスを生むなど住宅問題を深刻化させた。その一方で,アメリカを中心にNGO,NPO,宗教団体等による低所得層向け住宅の供給とコミュニティ再生の運動などが広がっている。1996年6月,第2回国連人間居住会議(ハビタットII)は〈居住の権利〉宣言を採択,(1)〈居住の権利〉を独立した権利概念として国際文書で示す,(2)各国政府は居住の権利を完全かつ前進的に充実する義務を負う,(3)持続的な人間居住の実現を図る,(4)居住者参加による住む能力の発展と国際連帯等を掲げた。開発途上国の難民問題,先進国のホームレス,女性・子ども・少数民族の差別,地球環境問題,民族紛争,平和問題等々のどれひとつ取り上げても,人間にふさわしい居住の確保と安定なしには解決しない,という認識である。21世紀に向かって住宅問題は人類の新しい課題として登場しているといえる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「住宅問題」の意味・わかりやすい解説

住宅問題
じゅうたくもんだい
housing problem 英語
Wohnungsfrage ドイツ語

住宅の質や量に関する社会的諸問題。住宅問題が社会的課題として顕在化するのは、資本主義の発展とともに住宅の商品化が進み、都市に集積した労働者人口の急増に伴って劣悪な住宅供給が現れるようになってからのことである。

 住宅は人間の生存と生活の基盤であり、人間にとって不可欠なものであるが、住宅が土地に合体した商品であるために、その供給が制約的であるという理由も加わって、一般にその価格は非常に高価である。そのため住宅を確保することは、一般の生活必需品に比べて、多くの困難を伴う。また住宅は都市や村落を構成する要素であり、住宅の供給のあり方が都市や村落の物的・社会的環境にも大きく影響を及ぼすことなどから、住宅問題は多様な視点からとらえられてきた。

[堀田祐三子]

資本主義と住宅問題

18世紀から19世紀にかけて各国で産業革命が起こると、工業の急激な発展に伴って、工場地帯に大量の労働力需要が生じた。農村部の人口の大量の移動を供給源としつつ、こうした地域では人口が累増し、近代都市が形成され発展した。ここでは大量の住宅が必要となったが、新興労働者階級(プロレタリアート)の購買力は総じて低く、劣悪な住宅・住環境に居住を余儀なくされる状況が現れた。その具体的な展開は国によって多様であるが、産業革命発祥の地であるイギリスを例にとると、次のような展開を示した。

 当時労働者階級向けに供給された住宅の多くは、建築業者や家主の資金力不足と、末端の消費者である労働者階級の支払い能力の低さに規定され、一般に狭小で劣悪なものにならざるをえなかった。貧困にあえぐ労働者階級や窮民層が集中する「貧民街」が都市のあちこちに形成され、過密居住や地下室での居住も常態化する状況であった。貧民街の住宅は、その多くが2~3階建ての背割り長屋形式の建物で、採光や換気が不十分なうえ、洗面・トイレ、排水溝などの基本的な設備が整っておらず、多くの住民が汚物や廃物があふれた不衛生な環境で生活をしていた。このため貧民街の住環境はコレラなどの伝染病の温床となり、貧困層の住宅問題が中産階級以上を含む都市全体の問題として顕在化するようになる。

 こうした事態に対して、イギリスでは、19世紀なかばにスラム・クリアランスslum-clearance(不良住宅の撤去による都市の更新)や上下水道の整備などを梃子(てこ)として、都市環境の改善を目ざした住宅政策のさきがけともいえる公的介入が開始された。また鉄道などの輸送手段が普及するまでは、住宅は労働者の工場からの徒歩圏での供給が主流であり、その意味で供給量も限定的であったことがこうした過密居住を促進した。

 その後、鉄道が普及するに伴って市街地から郊外への人口流出がみられるようになり、それに伴って郊外住宅開発が進んだが、郊外居住が可能であったのは一部の中流階級であり、多くの労働者は既成市街地での住宅確保を余儀なくされた。そこでは、都市の住環境改善と称して実施された強圧的なスラム・クリアランスや都市化の進展を反映した地代や資材価格の高騰が家賃価格を押し上げ、労働者階級の生活を苦しめ続けた。イギリスではこうした住宅問題が深刻化するなか、労働者階級の怒りが爆発し、第一次世界大戦の開戦のころに至ると各地で家賃ストライキが発生した。問題解決に向けた公的介入の必要は否応なく高まり、以後、家賃統制や借家人保護の法制度の導入、公的住宅供給の仕組みなどが整備されてゆき、住宅問題に対する公的介入の手法が多様化した。

 第二次世界大戦とその後の経済復興の過程における膨大な住宅不足の顕在化は、介入のいっそうの強化を要請し、これに対処するための住宅政策の本格的な展開を促した。この時期福祉国家政策の一翼をなす住宅政策は、なによりも公営住宅の発展に象徴されるものであった。しかし、住宅不足が戸数のうえでは解消され、高度経済成長が終焉(しゅうえん)する1970年代に入ると、住宅政策は公営住宅中心から持ち家促進へと大きく舵(かじ)をきった。1980年代には、サッチャー政権の下で公営住宅の売却が加速されたという事情も加わり、住宅は保有形態としては持ち家が多数をなすに至った。これに伴って住宅問題も持ち家をめぐる問題が注目される時代を迎えた。1980年代後半「バブル経済」下での住宅価格の高騰とその後の下落による住宅ローン破綻(はたん)の広がり、とくに大都市圏を中心とする住宅価格の持続的高騰による一般勤労者の住宅取得難などがそれである。

 こうして、ホームレスの増大など貧困を軸とする住宅問題を底流にはらみながらも、持ち家を中心とする住宅市場の不安定化が現代の住宅問題の主役となる状況が今日を特徴づけている。この点で重要な問題は、投機資金の住宅市場への流入がこの種の問題を引き起こしており、その背景に「金融の肥大化」といわれる資本主義の世界的な構造変化があることである。住宅問題と深くかかわる2007年の「サブプライムローン」問題、翌年の「リーマン・ショック」の発生は、アメリカにとどまらず、イギリスを含む世界の金融・住宅市場に重大なダメージを及ぼした。いまや住宅問題は、一国を超えたグローバルな問題として把握されるべき時代を迎えている。

[堀田祐三子]

日本における住宅問題

都市化・都市膨張期(1980年代まで)

近代化・都市化のプロセスにおいて、日本で初めて近代的な意味での住宅問題が認識されたのは、第一次世界大戦後の時期である。その意味では、上述のイギリスのケースに比べての後発性を指摘することができる。

 第一次世界大戦とその後の好景気は、商工業の発展をもたらし、大都市への人口集中を加速させ、都市部での住宅不足を激化させた。住宅の絶対的不足とインフレーションの進行は、家賃値上げや居住者の追い出しなどの問題を引き起こし、こうした問題が社会的に注目されるようになった。また1923年(大正12)に発生した関東大震災による住宅の喪失は46万5000戸にも上り、膨大な住宅不足を発生させた。他方、同じ時期に全国の都市部では不良住宅地区の存在が問題視されるようになる。不良住宅地区とは、質の低い住宅が密集し、衛生や風紀、保安などに関して有害または危険のある地区である。その改良を目ざした不良住宅地区改良法が1927年(昭和2)に制定された。

 第二次世界大戦後は戦災と海外からの引揚者とによって、日本は420万戸の住宅不足にみまわれた。終戦当時、都市部の人口は戦前の半分以下にまで減少していたが、住宅は絶対的に不足しており、多くの人がバラックなど住宅とはいいがたい場所での生活を強いられた。政府は1945年(昭和20)9月に越冬用応急簡易住宅30万戸の建設を発表したが、翌年3月までに完成したのは8万3000戸ほどにすぎなかった。1950年代に入ると、住宅金融公庫(1950)、公営住宅法(1951)、日本住宅公団(1955)という戦後住宅政策の三本柱とよばれる制度枠組みが確立する。このほかにも、1965年には地方住宅供給公社法が、また1966年には住宅建設計画法が制定され、公共・民間双方の住宅建設が促進された。住宅建設計画では、当初「1世帯1住宅」や「1人1室」などの目標が掲げられ、住宅の量的充足が目ざされた。

 高度経済成長期の大量供給によって、全国レベルでは1968年の住宅統計調査において、すべての都道府県レベルでは1973年の調査において、住宅戸数が世帯数を上回り、日本の住宅の量的不足はその限りで解消された。しかしながら、その住宅のなかには質の低い不良住宅も多く存在しており、加えて高度経済成長の本格的展開とともに、大規模な地域の再編成と人口の再配置が行われたことも影響して、大都市を中心に住宅難は量的充足を達成した後も続いた。とくに当時借家の3分の1から4分の1を占めていた木造賃貸アパートの居住性は低く、排水不良や、建てづまりで日照、採光、通風などが十分に得られない質のものが相当数存在した。住宅問題は、量的不足から質的不足が主要課題として浮上するようになった。こうした状況を受けて第3期住宅建設5か年計画(1976)では「居住水準の向上」が政策目標に掲げられた。

 戦後オイル・ショックに伴う一時的な例外を別として、バブル経済崩壊に至るまで、「列島改造」期と「バブル」期という二度の狂乱期を演出しながら、基本的に地価は上昇を続けた。地価の持続的な高騰は、住宅価格と家賃の暴騰に反映され、世帯の居住費負担を著しく増加させた。また住宅価格・家賃の高騰は、一定の質を備えた住宅取得の可能性を都心から遠ざけ、住宅地開発の郊外化を進行させた。他方都心部では、土地の細分化や住宅の建てづまり、住宅の狭小化が進むなか、老朽住宅群を取り壊して再開発を進めるための地上げや住民の追い出しが問題になった。とくに1980年代後半の「バブル」期における地価狂乱は、住宅問題を著しく深刻化させた。1989年(平成1)当時東京都区部のマンション価格は平均8628万円、勤労者の平均年収の12.7倍にも上った。持ち家取得層にとっては、住宅ローンの負担とローン破綻のリスクが、借家層にとっては狭い住宅への高い家賃負担と立ち退きなどの居住の不安定さが問題となった。

 地価高騰の波は、民間住宅だけでなく、公共住宅の供給にも大きな影響を与えた。大都市では入居倍率が上昇し、多くの入居希望者が入居できない事態が生じた。さらに新規供給についても、地価が高騰するにつれ、また地方自治体の財政事情も苦しくなるなかで、しだいに困難になり、低家賃住宅へのニーズはあるものの供給量は伸び悩み、かつ入居を希望する層のニーズに対応できない不便な立地での供給を強いた。

[堀田祐三子]

1990年代以降

バブル経済の崩壊以降地価は大幅に下落し、その後も一部を除いて、下落傾向が続いている。景気の低迷が雇用不安を高めるなか、住宅問題もこれまでの右肩上がりの時代とは異なる様相をみせるようになる。

 1970年代から課題とされている日本の住宅の質の問題は、当時と比べれば改善されてきたとはいえ、解消されたとはいいがたい。規模の面でみると、1住宅当りの延床面積は、1973年(昭和48)から2008年(平成20)にかけて約1.2倍になり、先進諸外国と比較しても見劣りしないほどの規模にまで達しているが、所有関係別にみると2008年時点でも借家は持ち家の半分程度の面積でしかなく、持ち家と借家の格差が著しい。質のよい低価格・低家賃住宅が十分に供給されないことと、雇用の不安定化がもたらす需要サイドの支払い能力の低下が、住宅の質と過重な居住費負担の問題を構造化しており、とくに路上生活者や不安定居住を強いられる人々の問題は以前に増して深刻になっている。

 また、こうした伝統的な問題に加えて、新たな住宅問題として認識される状況が生まれてきている。たとえば、分譲マンションの増加により、建て替えや修繕をめぐる所有者間の合意形成の問題(マンション管理の問題)や、地震などの自然災害によって住宅を喪失した際に、被災前に抱えていた住宅ローンの支払いと新たに取得した住宅のためのローン支払いを余儀なくされる、いわゆる二重ローンの問題などである。

 そしてまた、今後深刻な問題となってくるのが、空き家の増加と既存住宅ストックの活用の問題である。日本ではこれまで大量の新規住宅建設を継続してきたが、景気の低迷や地球環境問題への意識の高まりなどを背景にして、既存住宅ストックの利活用が重視されるようになってきた。しかしながら、日本の住宅寿命は諸外国のそれと比較して短く、ゆえにまた既存住宅の流通量もかなり少ない。人口減少が進み、かつ将来的には世帯数の減少も予測されるなかで、新規住宅建設をある程度抑制しながら既存住宅ストックの利活用が一般化しなければ、空き家の増加はますます顕著となり、地域の衰退にもつながることが懸念される。

[堀田祐三子]

『西山夘三著『すまい考今学――現代日本住宅史』(1989・彰国社)』『山田良治著『土地・持家コンプレックス――日本とイギリスの住宅問題』(1996・日本経済評論社)』『図解住居学編集委員会編『図解住居学4 住まいと社会』(2005・彰国社)』『塩崎賢明編著『住宅政策の再生――豊かな居住をめざして』(2006・日本経済評論社)』『本間義人著「全国総合開発計画と戦後住宅政策」(『現代福祉研究』6号所収・2006・法政大学)』『エンゲルス著、一条和生・杉山忠平訳『イギリスにおける労働者階級の状態』上下(岩波文庫)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の住宅問題の言及

【住宅政策】より

…資本主義経済下では住宅市場の価格メカニズムが十分機能せず,住宅の量的不足や質的低下の問題が社会現象として現れやすい。これを住宅問題という。
[住宅の特殊な性格]
 住宅は商品として二つの面ではなはだ特殊な性格をもっており,市場に出回るとき,この性格に規定された問題もいっしょに現れてくる。…

※「住宅問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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