ヨーク(読み)よーく(英語表記)York

翻訳|York

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヨーク」の意味・わかりやすい解説

ヨーク(イギリス)
よーく
York

イギリス、イングランド北東部にあるユニタリー・オーソリティーUnitary Authority(一層制地方自治体)の都市。リーズの東北東30余キロメートル、ウーズ川と支流フォス川との合流点に位置する。人口18万1131(2001)。13~15世紀建造のヨーク・ミンスター寺院を中心に、中世のおもかげを一部に残す中心市街を長さ約4キロメートルの城壁(14世紀)が取り囲む囲壁都市。ローマ時代の要塞(ようさい)塔も保存されており、ヨーク・ミンスター寺院のステンドグラスはイギリス最古で1150年ごろの製作と伝えられる。鉄道の要衝で、国立鉄道博物館がある。観光が重要産業であるが、周辺農業地域の商取引、チョコレート製造、精密機械製造が行われるほか、鉄道工場がある。ヨーク大司教の所在地。1963年創立のヨーク大学もある。

[久保田武]

歴史

ブリトン人の居住跡も残っているが、古代ローマの支配下ではエボラクムEboracumとよばれ、第六軍団が駐留する軍事的要衝となった。ハドリアヌス帝がここを訪れ、スコットランド人に対する長大な防壁(ハドリアヌスの長城)を築造させたことは有名である。また、コンスタンティヌス大帝は306年この地で皇帝を宣言して大陸に渡った。当時の旧市域を囲む城壁に設けられた四つの主門はよく保存されている。アングロ・サクソン人の来住後、ノーサンブリア王国の首都となるが、7世紀には早くも大司教座が置かれ、カンタベリーと宗教上の首位権を争った。ここの教会(ヨーク・ミンスター寺院)は「大会堂」(ミンスターminster)とよばれ、「大聖堂」(カテドラルcathedral)と区別されている。8世紀のヨークは、古典文化と教育の中心として全ヨーロッパにその名を知られた。これは、近郊ジャロウ修道院に住む教会史家ベーダの深い学識が彼の弟子エグバートEgbert(ヨーク大司教。766没)によりヨークに建てられた学校に継承されたことと、教師アルクインがカール大帝に招かれ、アーヘン(現ドイツ)の宮廷学校を開いて、いわゆる「カロリング朝ルネサンス」の文化を育てたことによる。12世紀後半ヘンリー2世から特許状を受け自治都市となったヨークは、中世後期から近代初めにかけて、後背地特産の良質の羊毛を加工するヨークシャー地方の毛織物工業の発展により、市場として繁栄した。現存する「冒険商人組合」Merchant Adventurersの大ホールに、ハンザ商人と対抗した彼らの活躍がしのばれる。

[松垣 裕]


ヨーク(アメリカ合衆国)
よーく
York

アメリカ合衆国、ペンシルベニア州南部の都市。人口4万0862(2000)。17、18世紀に宗教的自由を求めて移住したドイツ系住民の集まるペンシルベニア・ダッチ・カントリーの中心に位置し、肥沃(ひよく)な土地に産する各種農産物の市場・加工地として重要な地位を占める。また、食品加工をはじめ農機具、繊維、製紙、建設機材、タービン冷蔵庫など工業の中心地でもある。1735年にクェーカー教徒により町が開かれ、77年から1年間はアメリカ植民地の首都として大陸会議の開催地ともなった。1887年より市制施行。ペンシルベニア・ヨーク大学(1789創立)の所在地でもある。

[作野和世]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨーク」の意味・わかりやすい解説

ヨーク
York

イギリスイングランド北東部の都市。単一自治体(ユニタリー unitary authority)。旧ヨークシャー県に属する。1974年の自治体再編でノースヨークシャー県の一部となり,1996年に単一自治体となった。ロンドンの北北西約 280kmにあり,ハンバー川水系のウーズ川とフォス川の合流点に位置する。ローマ時代にはエブラクム Eboracumと呼ばれ,ブリタニア北部の重要な軍事拠点であったところで,皇帝ハドリアヌスも訪れ,コンスタンチヌス1世はここで皇帝即位を宣言した。アングロ・サクソン時代にはノーサンブリア王国の首都となり,大司教座が置かれてイングランド北部の宗教中心地としても発展。中世には羊毛取引の中心地となり繁栄。その後ロンドンとの競争に敗れて経済的には衰えたが,政治,宗教の中心地としてとどまった。農牧地帯の集散地で,鉄道設備,製菓,精密機器などの工業がある。ローマ時代の要塞跡,中世の城壁,ミンスターとして知られる聖ピーター大聖堂(13~15世紀)やその北翼廊の『ファイブ・シスターズ』(1260)をはじめとする多数の聖堂や修道院,貿易商組合ホールなど,歴史を反映する史跡や古い建築物が多く,観光業も盛ん。古くから交通の要地でもあり,放射状に鉄道,道路が延びる。面積 272km2。人口 19万1800(2006推計)。

ヨーク(公)
ヨーク[こう]
York, Richard, 3rd Duke of

[生]1411.9.21.
[没]1460.12.30. ヨークシャー,ウェークフィールド近郊
イングランド王位要求者。エドワード4世リチャード3世の父。初代ケンブリッジ伯リチャードとアン・モーティマーの子。伯父の2代ヨーク公エドワードを継いで3代ヨーク公となり,母方の叔父エドマンド・モーティマーからマーチ伯,アルスター伯を譲られて広大な土地を領有,最有力貴族となった。ヘンリー6世が精神に障害をきたしたとき (1453) 摂政になり,血統による王位継承の優先権を主張,ヘンリー6世の回復とともに王との妥協が成立。王死後の王位を約束されたが,王子の廃嫡に不満の王妃マーガレットサマセット (公)エドマンド・ボーフォートらランカスター派との抗争が生じ (→バラ戦争 ) ,1460年 12月 30日ウェークフィールドで包囲され,殺害された。王位への要求は,長男エドワード4世によって実現した。

ヨーク
York, Henry Benedict Maria Clement, Cardinal Duke of

[生]1725.3.6. ローマ
[没]1807.7.13. ローマ近郊
イギリスの王家スチュアート家出身の枢機卿。国王ジェームズ2世の孫,大王位僭称者 J.F.E.スチュアートの次男,小王位僭称者 C.E.スチュアートの弟。スチュアート家の王位回復を目指すジャコバイト派の反乱に参加したが失敗し,1747年以後ローマ教会の聖職に専念,47年枢機卿,59年コリント大司教,61年トゥスカルムの司教となる。イタリア初の神学校の創立で知られ,教皇選出会議メンバーとして信望を得た。政治への積極的参加は望まなかったが,88年兄スチュアートの死後,スチュアート家正統を主張し,イギリス王ヘンリー9世と称する旨の宣言を発したが,彼の没後スチュアート家直系の血統は絶えた。

ヨーク(公)
ヨーク[こう]
York, Edward, 2nd Duke of

[生]1373頃
[没]1415.10.25. アザンクール
イングランド王エドワード3世の孫。初代ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーの長男。リチャード2世の寵臣で,重く用いられたが,ヘンリー4世の即位後はこれに仕え,1402年王の代理としてアキテーヌに駐在中,父の死により2代ヨーク公となる。 05年の反王陰謀の容疑で一時投獄されたがまもなく釈放され,百年戦争に参加してアキテーヌに行き,アザンクールの戦いで戦死。彼はまたイングランド最古の狩猟書『狩猟の名人』 Master of Gameの著者でもある。

ヨーク
Yorke, Francis Reginald Stevens

[生]1906.12.3.
[没]1962.6.10.
イギリスの建築家。バーミンガムの建築学校を卒業後,ヨーロッパ各国に遊学,『近代住宅』 Modern House (1934) ,『近代アパート』 Modern Flat (37) などを書いた。保守的だったイギリス建築界に国際様式を紹介し,みずからも多数の近代住宅の設計を試みた。 1935~37年は M.ブロイアーと共同し,44年以降,E.ローゼンバーグ,C.マードールと共同事務所を経営し,住宅や病院,学校などを手がけた。個人的色彩の強い仕事としては,サセックス県ギャッツウィック空港ターミナル (58) ,ロンドンのヨーク事務所ビル (61) がある。

ヨーク(公)
ヨーク[こう]
York, Edmund of Langley, 1st Duke of

[生]1341.6.5. キングズラングリー
[没]1402.8.1. キングズラングリー
イングランド王エドワード3世の第5子,ヨーク家創始者。本名エドマンド・オブ・ラングリー。妻はカスティリア=レオン王ペドロ1世の娘イザベル。1362年ケンブリッジ伯,1385年ヨーク公となる。平凡な人物で,しばしば大陸に遠征したが成果はなく,またランカスター公ヘンリーが 1399年リチャード2世を廃して即位し,ヘンリー4世を称したときも抵抗することなくこれを承認した。

ヨーク(公)
ヨーク[こう]
York (and Albany), Frederick Augustus, Duke of

[生]1763.8.16. ロンドン
[没]1827.1.5. ロンドン
イギリスの軍人。国王ジョージ3世の次男。 1780年陸軍に入り,81~87年ハノーバーで軍事教育を受け,84年陸軍中将に昇進,ヨークおよびオールバニ公に叙せられた。 93~95年フランドル派遣軍司令官,95年陸軍元帥,98~1809年イギリス陸軍総司令官,1799年オランダに遠征。軍事上の功績には顕著なものが認められなかったが,兵士の福祉のための種々の改革を行い人気を得た。今日の陸軍大学校や陸軍士官学校の前身となった軍人養成学校の創立者としても知られている。

ヨーク
York

アメリカ合衆国,ペンシルバニア州南東部にある都市。ハリスバーグの南南東約 45kmに位置する。サスケハナ川以西のペンシルバニア州最初の定住地で,1741年ライン地方のドイツ人とイギリス人が入植。 77年イギリスがフィラデルフィアに進攻したとき,大陸会議がヨークに移り,ここに翌年まで首都がおかれた。豊かな農業地帯を背景とする商業の中心地。冷凍,空調設備,水力タービン,ピアノなどの工業も発達。ペンシルバニア州立大学ヨーク校,クェーカー教会堂,ファークワー公園がある。人口4万 2192 (1990) 。

ヨーク
York

アメリカ合衆国,メーン州南西部の大西洋に面する古い町。ポートランドの南西約 65kmに位置する。 1624年建設され,41年にジョージアナ市として認可。アメリカ大陸最初のイギリス人都市となったが,92年にはインディアンとの戦いでほとんど全滅した。現在は地方の行政中心地,また観光・保養地となり,多くの歴史的な建物が復元されている。人口 9818 (1990) 。

ヨーク
yoke

服飾では本来衣服の肩やスカートの腰の部分の当て布をさすが,広くは単にこれらの部分を上下に切替えた上の部分をさす。ヨークの下側にはプリーツ,タック,ギャザーなどを入れて,ゆとりをもたせることが多い。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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