日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルフォール」の意味・わかりやすい解説
ルフォール
るふぉーる
Claude Lefort
(1924―2010)
フランスの哲学者。パリに生まれる。パリのリセ・カルノーで教師をしていたメルロ・ポンティと出会い、彼の弟子となる。1949年、哲学教授資格を取得。ブラジルのサン・パウロ大学で客員教授を務めた後フランスに戻り、1954年よりソルボンヌ(パリ大学)で助手・講師。カーン大学教授を経て、1976年から1990年まで社会科学高等研究院教授。その後はレイモン・アロン政治学研究所で研究活動に従事。
第二次世界大戦直後にソ連の全体主義的傾向を指摘するなど、いちはやく社会主義国の官僚主義や全体主義の分析、批判を行うとともに、人権思想の再検討、民主主義概念の構築に取り組む。『レ・タン・モデルヌ』誌の協力者であったが、スターリニズムの評価をめぐりサルトルと対立し、決別する。コルネリウス・カストリアディスCornelius Castoriadis(1922―1997)とともに雑誌『社会主義か野蛮か』Socialisme ou barbarieを創刊(1948)したほか、『エスプリ』『ヨーロッパ社会科学評論』Revue européenne des sciences socialesなど多くの雑誌に関与、アルジェリア戦争、五月革命をはじめとするフランス内外の政治・社会問題について活発な言論活動を展開する。1972年、ライフワークともいえる浩瀚(こうかん)な『マキャベッリ論』Le travail de l'œuvre Machiavelを上梓(じょうし)する。このほか、『余分な人間』Un homme en trop(1976)ではソルジェニツィンの『収容所群島』を分析、『エクリール』Écrire(1992)ではマルクス主義以後の政治と文学の関係の解明を試みる。師であるメルロ・ポンティの遺稿の編集者としても著名であり、『見えるものと見えないもの』Le visible et l'invisible(1964)や『世界の散文』La prose du monde(1969)などを編集している。ラシュディ事件(1988年にサルマン・ラシュディSalman Rushdie(1947― )が発表した小説『悪魔の詩』The Satanic Versesがコーランを冒涜(ぼうとく)しているとされ、イランのホメイニによって死刑を宣告されたラシュディは地下に潜行した)では「サルマン・ラシュディ擁護フランス委員会」の会長を務めた。
近代民主主義革命を、君主の身体のうちに統一、具現されていた権力、法、知の3領域の分離あるいは自律、宗教的権威などの「確信の指標」の消失による権力の象徴化あるいは非実体化とみる立場は、市民革命をブルジョア革命とするマルクス主義的な民主主義解釈と鋭く対立する。民主主義の本質は権力の空虚な場所を占めるための複数の党派間の競争にあるとし、権力の担い手の定期的な更新(のルール)を制度化することの必要性を説く。精神分析的社会理論、ラディカル・デモクラシー論(シャンタル・ムフChantal Mouffe(1943― )らを代表とする、多元的でリベラルな社会の実現を目ざす運動。社会的敵対関係の還元不可能性を前提としたうえで、その無害化を図る)などに大きな影響を与えた。
[澤里岳史 2015年6月17日]
『宇京頼三訳『余分な人間――「収容所群島」をめぐる考察』(1991・未来社)』▽『宇京頼三訳『エクリール――政治的なるものに耐えて』(1995・法政大学出版局)』▽『M・メルロ=ポンティ著、滝浦静雄・木田元訳『世界の散文』(1979・みすず書房)』▽『M・メルロ=ポンティ著、滝浦静雄・木田元訳『見えるものと見えないもの』(1989・みすず書房)』▽『ヤニス・スタヴラカキス著、有賀誠訳『ラカンと政治的なもの』(2003・吉夏社)』▽『Hugues PoltierClaude Lefort(1997, Michalon, Paris)』
ル・フォール
るふぉーる
Gertrud von le Fort
(1876―1971)
ドイツの女流小説家。先祖はフランスのサボイ出身のユグノー(新教徒)。ハイデルベルク、ベルリン大学などで神学、哲学、歴史を学ぶ。1926年ローマでカトリック教会に加入。41年以後南ドイツのオーベルストドルフに住んだ。「彼女は創作の究極的意味を神への帰依(きえ)に見ている」といわれ、処女作『教会への讃歌(さんか)』(1925)以来、その作品は深く信仰に根ざしているが、「文学的なものそれ自体のなかにキリスト教的な要素」を認めようとする彼女の作品は、けっして護教文学を目ざしたものではない。代表作『ベロニカの聖帛(せいはく)』(第一部『ローマの泉』1928、第二部『天使たちの花冠』1946)は、他者の救いのためにする自己犠牲の可能性と限界とを、少女ベロニカの苦悩を通して大胆に探り、カトリック教会内で論議をよんだ。彼女はまた好んで歴史に素材を求め、『断頭台最後の女』(1931)、『海の法廷』(1943)、『天国の門』(1954)などでは現代にまで及ぶ問題性を指摘した。ほかにドイツ民族の歴史的使命と運命を歌った『ドイツ賛歌』(1931)、カトリック的女性論『永遠の女性』(1934)、『詩集』(1949)、『手記と回想』(1951)などがある。
[横塚祥隆]
『船山幸哉・前田敬作訳『教会への讃歌』(1960・ヴェリタス書院)』