レ・タン・モデルヌ(読み)れたんもでるぬ(その他表記)Les Temps Modernes

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レ・タン・モデルヌ」の意味・わかりやすい解説

レ・タン・モデルヌ
れたんもでるぬ
Les Temps Modernes

1945年10月、サルトルメルロ・ポンティボーボアールレイモンアロンらによって創刊されたフランスの月刊総合誌『現代』。「創刊の辞」は、著作家の社会的責任を明確に打ち出した社会参加(アンガージュマン)の主張として有名。インドシナアルジェリアなどの植民地問題、スターリン批判やハンガリー問題等の共産主義革命の問題、平和問題など、フランスに限らず、第二次世界大戦後の世界の政治的、社会的、思想的諸問題について精力的な論陣を張ってきた。扱われたテーマや執筆陣を一瞥(いちべつ)すれば、第二次世界大戦以降のフランスにおける知的状況の変遷をたどることができよう。しかし、1980年にサルトルが死亡すると、それまで編集長であった彼の名は創設者へと変更されることになる。このとき、ボーボアールをはじめとする残された編集委員会は、あらためて雑誌存続の意義を確認したのである。そして、1986年のボーボアールの死後彼女もまた創設者の列に加えられ、1986年10月号以降は、ナチス強制収容所を扱った記録映画『ショアー』(1974~1985)の監督などで知られるクロード・ランズマンClaude Lanzmann(1925―2018)が亡くなるまで編集長を務めた。2000年にはサルトル没後20年特集を2回にわたって組んでおり、世界の動向に鋭い分析を加えるという当初からの基本的な編集方針は現在も堅持されている。

[川上 勉]

『篠田浩一郎他訳『現代革命の可能性「レ・タン・モデルヌ」特集』(1969・筑摩書房)』『A・ボスケッティ著、石崎晴己訳『知識人の覇権』(1987・新評論)』『クロード・ランズマン編、記念号翻訳委員会訳『レ・タン・モデルヌ50周年記念号』(1998・緑風出版)』

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世界大百科事典(旧版)内のレ・タン・モデルヌの言及

【サルトル】より

…第2次大戦中はドイツの捕虜になったがやがて釈放され,長編小説《自由への道》(1945‐49)や戯曲などを書きつつ,ひたすら連合軍の勝利を待ちこがれていた。 第2次大戦後の45年10月,サルトルはM.メルロー・ポンティ,ボーボアールらと《レ・タン・モデルヌLes Temps Modernes》誌を創刊し,その編集長として,アンガージュマンの立場を主張し,華々しく論壇に登場。彼の名は一躍有名になり,〈実存主義者サルトル〉として,たえずマスコミの話題になる。…

【メルロー・ポンティ】より

…1930年代にベルグソン哲学やフッサールの現象学の影響下にその思想を形成し,《行動の構造》(1942)と《知覚の現象学》(1945)によって学位を取得,45年リヨン大学講師,48年同教授,49年パリ大学文学部(ソルボンヌ)に招かれて心理学と教育学を担当,52年当時としては異例の若さでコレージュ・ド・フランス教授に就任した。この間,一方では,第2次大戦終結直後の1945年にサルトルとともに雑誌《レ・タン・モデルヌ(現代)》を創刊し,以後これを舞台に実存主義の運動を華麗に展開したが,52年に同誌の政治的主張をめぐってサルトルと決裂し同誌を去る。
[初期の思想]
 早くからフッサールの現象学を学んだが,メルロー・ポンティが継承したのは,超越論的意識への還帰を目ざすその中期の観念論的思想ではなく,〈生活世界〉の記述を課題にした後期思想であり,彼はそれによって,おのれの世界を生きる人間の具体的実存の解明を企てる。…

※「レ・タン・モデルヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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