ソ連の政治家。第二次世界大戦に参加し、1944年にソビエト共産党入党。戦後レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)のジダーノフ記念レニングラード造船工場設計部に勤務(1946~1954)、この間にレニングラード造船大学を卒業(1953)した。1955年より同工場での党活動に専従、1957年同市キーロフ区書記、1961年市委員会書記、1963年レニングラード州党第二書記、1970年より同第一書記となった。また中央でも1966年より党中央委員、1973年党政治局員候補、1976年の第25回党大会で政治局員となり、1983年には中央委書記を兼任し、1980年代前半には若手のホープとされた。しかしゴルバチョフが書記長に就任した後、1985年に解任され、年金生活に入った。
[藤本和貴夫]
1596~1645(在位1613~45)
ロマノフ朝の始祖。名門貴族の家に生まれ,16歳で全国会議により動乱中空位であったツァーリに選出された。スウェーデン,ポーランドと和したのち,父が帰国し,総主教フィラレートとして政治の実権を握った。33年の父の死後,単独統治が始まった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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