ローター マテウス(英語表記)Lother Matthäus

現代外国人名録2016 「ローター マテウス」の解説

ローター マテウス
Lother Matthäus

職業・肩書
サッカー指導者 元サッカー・ブルガリア代表監督・ハンガリー代表監督

国籍
ドイツ

生年月日
1961年3月21日

出生地
西ドイツ・バイエルン州エアランゲン(ドイツ)

受賞
バロンドール〔1990年〕,ワールド・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー〔1990年・1991年〕,FIFA世界年間最優秀選手(第1回,1991年度)

経歴
1979年ボルシア・メンヘングラッドバッハに入団。’84年バイエルン・ミュンヘンに移り、3年連続で西ドイツ・リーグを制覇。’88年イタリアのインテル移籍。’89年イタリア・リーグを制覇。’91年スペインのレアル・マドリードに移籍。その後再びインテルを経て、’92年バイエルン・ミュンヘンに復帰。この間’81年に西ドイツ代表入りし、’86年W杯メキシコ大会で準優勝。’90年W杯イタリア大会では西ドイツの主将として優勝の原動力となった。’94年の米国大会までW杯に連続4回出場するが、同年12月を最後に代表から外れる。’95年1月左アキレス腱を断裂。’98年W杯フランス大会でドイツ代表に復帰。2000年3月米国MLSのメトロスターズに移籍、11月契約満了で退団、2001年現役を引退。1990年の欧州最優秀選手(バロンドール)で、2001年ドイツ代表名誉主将の肩書きを授与された名選手。W杯5回連続出場、出場試合数25回はともに世界歴代最多記録。国際Aマッチ150試合出場はドイツ歴代最多記録。2002年12月ユーゴスラビアのパルチザン・ベオグラード監督を経て、2005年までハンガリー代表監督。2006年シーズンよりオーストリア・ザルツブルクで、2008年シーズンよりイスラエルマカビー・ネタニャで指揮を執る。2010年9月ブルガリア代表監督に就任したが、UEFA欧州選手権での成績不振のため、2011年9月解任。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「ローター マテウス」の解説

ローター マテウス
Lother Matthäus
サッカー

元・サッカー・ブルガリア代表監督
生年月日:1961年3月21日
国籍:ドイツ
出生地:バイエルン州エアランゲン
受賞歴:バロンドール〔1990年〕;ワールド・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー〔1990年・1991年〕;FIFA世界年間最優秀選手(第1回,1991年度)
経歴:1979年ボルシア・メンヘングラートバッハに入団。’84年バイエルンに移り、3年連続で西ドイツ・リーグを制覇。’88年イタリアのインテルに移籍。’89年イタリア・リーグを制覇。’91年スペインのレアル・マドリードに移籍。その後再びインテルを経て、’92年バイエルンに復帰。この間’81年に西ドイツ代表入りし、’86年W杯メキシコ大会で準優勝。’90年W杯イタリア大会では西ドイツの主将として優勝の原動力となった。’94年の米国大会までW杯に連続4回出場するが、同年12月を最後に代表から外れる。’95年1月左アキレス腱を断裂。’98年W杯フランス大会でドイツ代表に復帰。2000年3月米国MLSのメトロスターズに移籍、11月契約満了で退団、2001年現役を引退。1990年の欧州最優秀選手(バロンドール)で、2001年ドイツ代表名誉主将の肩書きを授与された名選手。W杯5回連続出場、出場試合数25回はともに世界歴代最多記録。国際Aマッチ150試合出場はドイツ歴代最多記録。2002年12月ユーゴスラビアのパルチザン・ベオグラード監督を経て、2005年までハンガリー代表監督。2006年シーズンよりオーストリア・ザルツブルクで、2008年シーズンよりイスラエルのマカビー・ネタニャで指揮を執る。2010年9月ブルガリア代表監督に就任したが、UEFA欧州選手権での成績不振のため、2011年9月解任。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android