ローマ七王(読み)ローマしちおう

改訂新版 世界大百科事典 「ローマ七王」の意味・わかりやすい解説

ローマ七王 (ローマしちおう)

古代ローマ正史で,前753年から前510年までローマを統治したとされる7人の王。すなわちロムルスヌマ,トゥルス・ホスティリウスTullus Hostilius,アンクス・マルキウスAncus Marcius,タルクイニウス・プリスクスTarquinius Priscus,セルウィウス・トゥリウス,タルクイニウス・スペルブスTarquinius Superbusである。最初の4人はラテン・サビニ系,あとの3人はエトルリア系の王とされるが,各王の実在性,伝えられた事績や統治年代の信憑性をめぐって諸説が対立している。ロムルスは架空の人物だったと思われるが,他の6人の王は実在したと考えられる(もっともローマ王はこれらの7人に限られなかったであろう)。6人の王の伝えられた事績の中核部分は,多かれ少なかれなんらかの史実を反映しているようであり,その統治年代は基本的に考古学的発掘の結果と一致する。少なくとも,ローマの集落形成がロムルスの建都が想定された前8世紀に,実際の都市建設がエトルリア人王政の開始期とされる前7世紀末に行われたことは確実である。
タルクイニウス家
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローマ七王」の意味・わかりやすい解説

ローマ七王
ローマしちおう
Seven Kings of Rome

ローマ建国の初期 (伝説によれば前 753~510) に君臨したとされる7人の王たち。建国者ロムルスから,ヌマ・ポンピリウスツルス・ホスチリウス,アンクス・マルキウス,タルクイニウス・プリスクス,セルウィウス・ツリウス,タルクイニウス・スペルブスにいたる。彼らのうちのあるものは実在の人物で,後半の3王の名はエトルリア系である。彼らはいずれも独裁王ではなく元老院権限が強かったらしい。ローマ人の貴族によってエトルリア人の王が追放されて王政は崩壊した。

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世界大百科事典(旧版)内のローマ七王の言及

【ローマ】より

…そのうえローマ人は民族的誇りから自民族の歴史をギリシアの神話と結びつける傾向が強く,そこからトロイア起源説とアエネアス伝説がつくり出された。それによるとアエネアスの子孫のロムルスとレムスという双子の兄弟の前者が初代の王となり,これに続いて,ヌマ・ポンピリウス,トゥルス・ホスティリウス,アンクス・マルキウス,タルクイニウス・プリスクス,セルウィウス・トゥリウスおよびタルクイニウス・スペルブスの6人の王が立ったという(ローマ七王)。伝説はローマの建設を,前814,前753,前751,前748,前729年などと伝えている。…

※「ローマ七王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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