ローマ帝国衰亡史(読み)ろーまていこくすいぼうし(その他表記)The History of the Decline and Fall of the Roman Empire

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローマ帝国衰亡史」の意味・わかりやすい解説

ローマ帝国衰亡史
ろーまていこくすいぼうし
The History of the Decline and Fall of the Roman Empire

イギリスの歴史家エドワード・ギボンの手になる古典的名著。単なる歴史書ではなく、啓蒙(けいもう)時代のイギリス文学の白眉(はくび)と目される作品。1764年ローマのカンピドリオの丘に立ったギボンは霊感により、ローマ帝国が繁栄の絶頂期であるトラヤヌス帝の時代から、急坂を下るごとくに衰退してゆく過程を描くとの着想を得、76年に第1巻を刊行して大評判をとった。第3巻(1781)の西ローマ帝国の滅亡叙述でくぎるべきところ、要望もあってビザンティン時代にも筆を進め、ついに1453年のコンスタンティノープル陥落までを含む全6巻の大著となった(1788)。本書は、ローマ衰退の原因を、その文化的・道義的退廃、清新なゲルマン人の進出に帰すだけでなく、隷従的宗教たるキリスト教の発展がローマ的価値を貶(おとし)めたことを一因としており、ギボンの時代キリスト教会の反感を招いた。文献史料に頼りすぎて批判的方法がとられず、コンスタンティヌス帝を非難してユリアヌス帝を好むなどの偏りもあって、学問的叙述とはいえないが、とくに前半部の哀切の情に支えられた名文の迫力は何世紀にもわたって無数の読者をひきつけている。

[松本宣郎]

『村山勇三訳『ローマ帝国衰亡史』(岩波文庫)』『中野好夫・朱牟田夏雄他訳『ローマ帝国衰亡史』全11巻(1976~93・筑摩書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローマ帝国衰亡史」の意味・わかりやすい解説

ローマ帝国衰亡史
ローマていこくすいぼうし
The History of the Decline and Fall of the Roman Empire

イギリスの歴史家 E.ギボンの大著。全6巻。 1776~88年刊。英語で書かれた最大の歴史書といわれる。トラヤヌス帝の時代から筆を起し,西ローマ帝国の滅亡,ユスチニアヌス1世の東ローマ帝国建設,カルル大帝による神聖ローマ帝国建設,オスマン帝国の侵入による東ローマ帝国の滅亡までの約 1300年間の歴史を記述する。キリスト教の確立ゲルマン民族の移動,イスラム侵略モンゴル族西征,十字軍遠征など広範な地域にわたる大事件を織込んで,古代近世橋渡しを試みる雄編。

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世界大百科事典(旧版)内のローマ帝国衰亡史の言及

【ギボン】より

…58年帰国,ハンプシャーのバリトンの実家での読書生活,2年間の軍隊生活の後,63年ふたたびヨーロッパ大陸に渡り,パリでディドロ,ダランベールなどと知り合い,翌64年10月15日,ローマのカピトルの廃墟で裸足の托鉢僧たちの夕べの祈りを耳にしたとき,この市の衰亡を記そうという霊感をうけた。それがローマ市の衰亡ではなく,マルクス・アウレリウス帝の死(180)からオスマン・トルコによるコンスタンティノープルの陥落(1453)に至る1300年に近い長大雄渾な《ローマ帝国衰亡史》6巻(1776‐88)にまで発展したのは,彼が青少年時に身につけた古典的教養と東方ビザンティン,イスラム,トルコ世界への関心と知見による。76年,第1巻刊行。…

【ローマ没落史観】より

…ボルテールはモンテスキューにも認められる反キリスト教立場をさらに強め,キリスト教公認に没落の原因をみた。これら啓蒙思想の影響の下で,ギボンは大著《ローマ帝国衰亡史》を著し,至福の五賢帝時代における野蛮と宗教の支配に帝国没落の責任を帰し,かつ文明の進歩と理性への信仰を吐露した。
[現代]
 19世紀以後の歴史学の発達は,さまざまな没落原因論を生み出した。…

※「ローマ帝国衰亡史」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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