ヴィセンテ洞院(読み)〓〓せんて・とういん

朝日日本歴史人物事典 「ヴィセンテ洞院」の解説

ヴィセンテ洞院

没年:慶長14.5(1609)
生年:天文9頃(1540)
室町後期から安土桃山時代キリシタン。養方軒パウロの子として若狭(福井県)に生まれる。キリシタン版最古の『サントスの御作業』(1591刊)の訳文は,父の訳出した4編以外はすべてヴィセンテによることで著名である。ただ文禄1(1592)年のイエズス会名簿には,父ともども「日本語のほかは知らない」旨の記述があることから,翻訳とはいっても欧文から直接訳したのではないとの説が有力である。天正8(1580)年イエズス会に入会,都や九州で布教に活躍し,細川ガラシア内藤ジュリアなどの改宗に力があった。父と共に医術にも心得があったという。イエズス会目録類に「Vicente Toin」とあり,「洞院」は現今のあて字であるため,疑義もある。

(大塚光信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android