改訂新版 世界大百科事典 「一条院」の意味・わかりやすい解説
一条院 (いちじょういん)
大宮院とも称し,平安中期に一条天皇の里内裏となるに及んで脚光をあびた邸宅。大内裏の北東みちと大宮大路をはさんで東に位置し,東西に長く2町を占めていた。東側の1町は別納(べちのう)とか東町と呼ばれた。この邸は,はじめ藤原伊尹,異母弟の為光のものであったが,為光から娘の“寝殿の上”に伝えられた。それを佐伯公行が買い取って東三条院(藤原詮子)に寄進した。女院は,これを子息の一条天皇の後院とすべく造作を加えた。999年(長保1)に内裏が焼失すると,一条天皇はここに移り,里内裏とし,翌々年の新造内裏焼亡後もここに移った。その後,1009年(寛弘6)に当院が火事になるが1年後には新造され,天皇は再び移り,2年後にそこで没した。16年(長和5)6月,後一条天皇もここを皇居としている。さらに後朱雀・後冷泉天皇も一時期,里内裏としたが,59年(康平2)正月の焼失以降,里内裏となることはなかった。ちなみに一条天皇の里内裏となったとき〈今内裏〉とも称している。
執筆者:朧谷 寿
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報