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後院 ごいん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後院
ごいん

天皇が在位中に,あらかじめ定めた譲位後の御座所。また,太上天皇皇太后太皇太后の宮殿をもいう。弘仁7 (816) 年7月以前に創設された嵯峨天皇冷泉院が最初で,仁明天皇の淳和院,円融天皇の四条院,堀河院,一条天皇の一条大宮院,室町院,ほかに鳥羽院,五条院,朱雀院があり,冷泉院と朱雀院が歴代の後院となった。後院は,院政期にはおかれなかったが,鎌倉時代,高倉,亀山,後醍醐の各天皇のとき,再び設けられた。近世には,仙洞下御所がこれにあてられた。後院には,後院庁があって,別当,預,蔵人,寄人,仕丁などの職員がおかれ,供御や御服の費用をまかなう後院領があった。

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デジタル大辞泉の解説

ご‐いん〔‐ヰン〕【後院】

天皇が在位中に譲位後の御所としてあらかじめ定めた御殿。譲位後は仙洞(せんとう)という。平安初期、嵯峨天皇の時に始まる。

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百科事典マイペディアの解説

後院【ごいん】

内裏の本宮に対する補助あるいは予備の御所。のちに天皇が譲位後に備えて用意した御所を呼ぶようになり,江戸中期には上皇不在の間の仙洞(せんとう)御所の呼称になった。
→関連項目鳥羽殿没官領

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世界大百科事典 第2版の解説

ごいん【後院】

平安内裏の本宮に対する予備の別宮。のちには上皇の御所に充てられることが多くなり,江戸時代中ごろから上皇不在の間の仙洞御所の称となった。後院の文献上の確実な初見は仁明天皇の後院で,従前の離宮の一つである冷然院を後院とし,842年(承和9)には内裏修理の間,ここに移った。なお仁明朝には太皇太后(嵯峨皇后)および皇太后(淳和皇后)の後院も設置されたが,やがて天皇の後院以外は廃絶した。冷然院は文徳朝にも後院に充てられ,854年(斉衡1)にはこれに移り,内裏に帰ることなく同院で没した。

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大辞林 第三版の解説

ごいん【後院】

離宮の一つ。天皇の常の御所以外に設定した予備の御所。譲位後の御所(仙洞御所)となることが多い。平安初期、嵯峨天皇のときに始まる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後院
ごいん

内裏(だいり)の本宮に対する予備的な御所。初めは皇太后や太皇太后に付属する後院もあったが、平安時代中ごろから、朱雀院(すざくいん)、冷泉(れいぜい)院などが「累代(るいだい)の後院」として、付属の荘園(しょうえん)とともに歴代天皇に伝領された。また後院が天皇退位後の御所に充用される例が多くなり、ことに江戸時代に上皇の御所が固定し、在位中は後院、退位後は仙洞(せんとう)御所とよぶようになってからは、両者を同一視する観念が一般化した。後院はまた財物、荘園をもち、経済的な機能も果たしたので、その管理機関として後院庁(ごいんのちょう)が設けられ、別当(べっとう)、預(あずかり)などの後院司が任命されたが、院政開始以後は執政の上皇が後院を管領したため、後院庁の設置は天皇親政の期間に限られた。[橋本義彦]

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世界大百科事典内の後院の言及

【朱雀院】より

…平安初期の後院の一つ。平安京内では邸宅の少ない右京の四条以北で,朱雀大路に沿って西に位置し,8町という広大な面積を占めていた。…

【冷泉院】より

…平安時代の後院の一つ。南北を二条大路と大炊御門大路,東西を大宮大路と堀川小路で囲まれた4町の邸宅。…

※「後院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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