後院(読み)ごいん

精選版 日本国語大辞典 「後院」の意味・読み・例文・類語

ご‐いん ‥ヰン【後院】

〘名〙 本来は、天皇の常の御所のほかに設定された予備的な御所。離宮の一つ。天皇のほか皇太后太皇太后の後院も初期には存在した。譲位後の御所(仙洞院御所)となることが多い。平安初期嵯峨天皇のとき置かれ、この時は冷泉院があてられたとみられる。冷泉院の他に、朱雀院堀河院鳥羽院などがある。職員には別当、預(あずかり)などの後院司(ごいんし)があり、後院庁を形成する。平安末期以降「治天の君」となる上皇の下では天皇の後院は置かれず、その後院領(ごいんのあずかり)は院領として上皇が管理した。後院に付属する荘園などを含む経済体や管理機関を示す場合もある。こういん。
続日本後紀‐承和三年(836)二月壬午「河内国丹比郡荒廃田十三町宛皇太后宮後院
※宇津保(970‐999頃)蔵開上「ごゐむにとて、年比造らせ給ふ、〈略〉広くおもしろき院あり」

こう‐いん ‥ヰン【後院】

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デジタル大辞泉 「後院」の意味・読み・例文・類語

ご‐いん〔‐ヰン〕【後院】

天皇が在位中に譲位後の御所としてあらかじめ定めた御殿。譲位後は仙洞せんとうという。平安初期、嵯峨天皇の時に始まる。

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改訂新版 世界大百科事典 「後院」の意味・わかりやすい解説

後院 (ごいん)

平安内裏の本宮に対する予備の別宮。のちには上皇の御所に充てられることが多くなり,江戸時代中ごろから上皇不在の間の仙洞御所の称となった。後院の文献上の確実な初見は仁明天皇の後院で,従前の離宮の一つである冷然院を後院とし,842年(承和9)には内裏修理の間,ここに移った。なお仁明朝には太皇太后(嵯峨皇后)および皇太后(淳和皇后)の後院も設置されたが,やがて天皇の後院以外は廃絶した。冷然院は文徳朝にも後院に充てられ,854年(斉衡1)にはこれに移り,内裏に帰ることなく同院で没した。また朱雀(すざく)院は嵯峨太皇太后の後院に充てられた後,天皇の後院となり,《西宮記》には冷泉(れいぜい)院(もと冷然院),朱雀院を〈累代の後院〉と称している。平安中期以降も,960年(天徳4)村上天皇が内裏焼亡のため冷泉院に移ったのをはじめ,同院はしばしば皇居に充てられ,〈天皇暫らく本宮を避けて他に遷御せんと欲する〉とき,その御在所に充てられるという(《新儀式》),後院本来の機能を保ったが,一方では譲位の盛行に伴い,しだいに譲位後の御所に充てられる例が多くなった。しかし院政期に入ると,鳥羽殿以下,多くの院御所が造営され,冷泉院以下の後院は院御所として用いられることもなく,衰亡した。ついで江戸時代に入ると,皇居が土御門(つちみかど)殿に固定するとともに,その南東に仙洞御所が造営されたが,同所は上皇在世中は仙洞と称され,不在の間は後院と称されるようになった。

また後院は創設期から広大な勅旨田勅旨牧その他の財物を管領し,時に応じて供御以下の内廷用度を弁備調進した。すなわち後院は,殿第と荘牧・財物を包括した一種の経済体でもあった。そして平安中期以降は,皇室の〈代々のわたり物〉と称して所領化の色彩を強め,歴代天皇に伝領されるべき特異な皇室財産となった。1036年(長元9)後一条天皇から後朱雀天皇に引き渡された〈後院渡文〉には,朱雀,冷泉,石原,五条の各院および肥前神崎(かんざき)荘など4ヵ所の荘牧が載せられている。ついで院政期に入ると,後院とその所領は執政の上皇の管領するところとなり,さらに鎌倉時代には,天皇,上皇の別なく,時の〈治天の君〉が進止(しんし)沙汰するものとなった。その間,保元の乱後に藤原頼長らの旧領42ヵ所を没官して後院領に編入したのをはじめ,その所領は急速に増大し,皇室領のなかに重要な位置を占めるに至った。

後院には,これを管理運営するために,別当以下の職員が置かれた。《新儀式》には,別当2人ないし3人,預2人,庁蔵人3人を後院司とし,別当には公卿および四位または五位の廷臣を任命すると定めている。そして在位中の後院司が譲位後の院司に補される例がしだいに多くなり,院政時代以降は,藤原隆季土御門通親などの権臣が譲位後の院別当になることを前提として後院別当に補され,また亀山朝の前右大臣花山院通雅や後村上朝の左大臣洞院公賢のごとく,大臣級の後院別当の例も生じた。
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普及版 字通 「後院」の読み・字形・画数・意味

【後院】こういん(ゐん)

正殿の後ろの官衙。また、後庭。唐・李白〔東谿公の幽居に題す〕詩 好鳥春をへて、後院に歌ひ 飛酒をりて、檐(ぜんえん)に

字通「後」の項目を見る

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百科事典マイペディア 「後院」の意味・わかりやすい解説

後院【ごいん】

内裏の本宮に対する補助あるいは予備の御所。のちに天皇が譲位後に備えて用意した御所を呼ぶようになり,江戸中期には上皇不在の間の仙洞(せんとう)御所の呼称になった。創設期から広大な勅旨(ちょくし)田などを管領し,平安中期以降は皇室の財産として伝領された。後院司として別当・預(あずかり)・庁蔵人(くろうど)が置かれたが,後院・後院領ともに鎌倉末期から衰退した。
→関連項目鳥羽殿没官領

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後院」の意味・わかりやすい解説

後院
ごいん

内裏(だいり)の本宮に対する予備的な御所。初めは皇太后や太皇太后に付属する後院もあったが、平安時代中ごろから、朱雀院(すざくいん)、冷泉(れいぜい)院などが「累代(るいだい)の後院」として、付属の荘園(しょうえん)とともに歴代天皇に伝領された。また後院が天皇退位後の御所に充用される例が多くなり、ことに江戸時代に上皇の御所が固定し、在位中は後院、退位後は仙洞(せんとう)御所とよぶようになってからは、両者を同一視する観念が一般化した。後院はまた財物、荘園をもち、経済的な機能も果たしたので、その管理機関として後院庁(ごいんのちょう)が設けられ、別当(べっとう)、預(あずかり)などの後院司が任命されたが、院政開始以後は執政の上皇が後院を管領したため、後院庁の設置は天皇親政の期間に限られた。

[橋本義彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後院」の意味・わかりやすい解説

後院
ごいん

天皇が在位中に,あらかじめ定めた譲位後の御座所。また,太上天皇,皇太后,太皇太后の宮殿をもいう。弘仁7 (816) 年7月以前に創設された嵯峨天皇の冷泉院が最初で,仁明天皇の淳和院,円融天皇の四条院,堀河院,一条天皇の一条大宮院,室町院,ほかに鳥羽院,五条院,朱雀院があり,冷泉院と朱雀院が歴代の後院となった。後院は,院政期にはおかれなかったが,鎌倉時代,高倉,亀山,後醍醐の各天皇のとき,再び設けられた。近世には,仙洞下御所がこれにあてられた。後院には,後院庁があって,別当,預,蔵人,寄人,仕丁などの職員がおかれ,供御や御服の費用をまかなう後院領があった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「後院」の解説

後院
ごいん

平安時代,天皇が私産として営んだ邸宅をいい,付属する荘園などの管理主体も後院と称した。親王時代の私邸や外戚・側近から提供された邸宅で,冷泉(れいぜい)院と朱雀(すざく)院は,累代の後院として歴代天皇に継承された。別当・預(あずかり)・蔵人(くろうど)などからなる後院司がおかれ,別当には主要な公卿が補任された。院政期以後は,時の治天の君の管理下におかれた。京の荒廃にともない廃絶したが,江戸時代に上皇不在時の仙洞御所(せんとうごしょ)の称として復活した。

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世界大百科事典(旧版)内の後院の言及

【朱雀院】より

…平安初期の後院の一つ。平安京内では邸宅の少ない右京の四条以北で,朱雀大路に沿って西に位置し,8町という広大な面積を占めていた。…

【冷泉院】より

…平安時代の後院の一つ。南北を二条大路と大炊御門大路,東西を大宮大路と堀川小路で囲まれた4町の邸宅。…

※「後院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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