一瀬井(読み)いちのせいび

日本歴史地名大系 「一瀬井」の解説

一瀬井
いちのせいび

[現在地名]中原町大字簑原字山田

綾部あやべ川(寒水しようず川の上流)を渓口の山田やまだ(→香田村で堰を設けて分水している樋管、またはその井堰をいう。ここで分けられた水は、水道を山田村の東に流れて香田こうだ村の西に出、扇状地を貫流して北浦きたうら・中原を通って中島なかしま(以上姫方ひめかた村の内)の南から本流に合する。途中「穴」と称する引水をする所が一一ヵ所ある。この水道を蓑原みのばる水道とも中原水道ともいうが、佐賀藩の成富兵庫茂安の事業であると伝えられるから、築造は慶長年間(一五九六―一六一五)ということになる。

樋管は現在コンクリート築造で水門をなしている。本流側に落ちるものは大きく、分流取入口は小さい。大を中原樋、小を簑原樋というが、藩政時の板製樋管の内法寸分変わっていないことが現中原区所蔵の天明四年(一七八四)の記録によってわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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