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北茂安 きたしげやす

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北茂安
きたしげやす

佐賀県東部,みやき町中部の旧町域。筑後川右岸にある。 1965年町制。 2005年中原町,三根町と合体しみやき町となる。地名は,慶長年間 (1596~1615) 筑後川の洪水防御のためここに千栗 (ちりく) 土居を築いた,肥前藩の重臣成富兵庫茂安に由来する。千栗八幡宮は,筑前国大分宮,肥後国藤崎宮などとともに九州五社八幡の一つ。米作や野菜,花卉の栽培が行なわれ,白石焼を特産する。清酒醸造,電線,ケーブルの工場もある。隣接する久留米市 (福岡県) との関係が深い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北茂安
きたしげやす

佐賀県東端、三養基(みやき)郡にあった旧町名(北茂安町(ちょう))。現在は、みやき町の中部を占める地域。東隣の福岡県久留米(くるめ)市街とは筑後(ちくご)川の豆津(まめづ)橋で通じる。旧北茂安町は、1965年(昭和40)町制施行。2005年(平成17)中原(なかばる)、三根(みね)2町と合併して、みやき町となった。北部に花崗(かこう)岩や洪積層の丘陵・台地が分布し、南に筑後川の氾濫原(はんらんげん)が広がる。北茂安の名は、江戸初期に千栗土居(ちりくどい)などの築堤工事に功があった佐賀藩重臣成富兵庫茂安(なりとみひょうごしげやす)の名にちなむ。開発は古く、沖積低地には古代の条里制が施行され、また『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』にみる物部(もののべ)郷は、台地末端の板部(いたべ)にある新羅(しらぎ)遠征軍ゆかりの物部神社一帯とされる。江口の工業団地や石貝(いしがい)住宅団地などの形成や、通勤、野菜園芸などを通して、久留米の郊外の性格が強まっている。東端の筑後川沿いに国道264号が走る。北部の皿山(さらやま)などには、白石(しらいし)焼ほかの窯元がある。旧河道古川(ふるかわ)に近い丘陵末端の千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)は、九州五社八幡の一つで、9月放生会(ほうじょうえ)の行列浮立(ぶりゅう)や、年の吉凶を占う3月の「お粥(かゆ)だめし」の神事などで有名。[川崎 茂]
『『北茂安町史』(2005・北茂安町)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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