朝日日本歴史人物事典 「一絲文守」の解説
一絲文守
生年:慶長13(1608)
江戸前期の臨済宗の僧。山城(京都府)生まれ。「もんじゅ」ともいう。岩倉具尭の第3子。14歳で相国寺の雪岑梵崟に,のち堺の南宗寺の沢庵宗彭に参じた。寛永3(1626)年槙尾の賢俊に就いて出家し,再び沢庵に参じたが印可はされなかった。のち妙心寺の愚堂東寔や雲居希膺につき,愚堂の法を嗣ぐ。後水尾上皇の帰依を受け,西賀茂の霊源禅院などを開き,持戒禅を唱えた。寛永20(1643)年近江の永源寺に住したが,3年後に示寂。文芸にもすぐれ烏丸光広らと親交があった。諡号は定慧明光仏頂国師。著書は『大梅山夜話』『定慧明光仏頂国師語録』(『大正蔵』81所収)など多数。<参考文献>卍元師蛮『本朝高僧伝』45巻
(藤田正浩)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報