江戸中期の臨済宗の禅僧。卍元は号で,また独師とも称す。相模の生れで,俗姓は熊沢氏。18歳のとき出家し,妙心寺第232世住持の黙水竜器の法を継いだ。1679年(延宝7)美濃加納の盛徳寺を再興し,常陸の清音寺や京都の盛徳寺に住持するなどして,世寿85をもって寂するが,その間に二つの僧伝を著し,妙心寺の学僧として知られている。僧伝編纂を志した師蛮は,30余年に及ぶ長期にわたって資料を集め,まず1678年に日本の臨済宗と曹洞宗の禅僧および居士など1000余人の僧伝を収める《延宝伝灯録》41巻を著し,ついで,1702年(元禄15)には各宗の名僧1662人の伝記を収録する《本朝高僧伝》75巻を著した。《延宝伝灯録》は06年(宝永3),《本朝高僧伝》は07年にそれぞれ刊行された。また,《東国高僧伝弾誤》10巻の著があり,中世における凝然(ぎようねん)や虎関師錬(こかんしれん)とならぶ屈指の日本仏教史研究者である。
執筆者:竹貫 元勝
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江戸時代の臨済(りんざい)宗の学僧。独師とも号す。俗姓は熊沢氏。相模(さがみ)(神奈川県)の人。18歳で出家し、妙心寺232世黙水龍器(もくすいりゅうき)の法を嗣(つ)ぐ。早くから僧伝編纂(へんさん)の志を抱き、三十余年の資料収集ののち、1678年(延宝6)臨済・曹洞(そうとう)両宗の禅僧約1000名の伝を編んだ『延宝伝燈録(えんぽうでんとうろく)』41巻を著し、ついで1702年(元禄15)1662名の伝を収めた『本朝高僧伝』75巻を刊行した。また『東国高僧伝弾誤(だんご)』10巻の著述がある。美濃加納(みのかのう)(岐阜市)の盛徳(せいとく)寺に葬る。塔(墓標)を海雲塔という。
[鈴木格禪 2017年10月19日]
(藤田正浩)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…臨済宗の卍元師蛮(まんげんしばん)が1702年(元禄15)に著した日本で最も浩瀚(こうかん)な高僧伝。75巻。…
※「卍元師蛮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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