朝日日本歴史人物事典 「一色詮範」の解説
一色詮範
生年:生年不詳
室町時代の武将。範光の子。兵部少輔,右馬頭, 左京大夫。嘉慶1/元中4(1387)年,父の死後若狭(福井県)・三河(愛知県)両国守護職を継ぎ,のちには尾張(愛知県)智多・海東両郡守護職をも兼ねる。2度侍所頭人を務める。山名氏清が幕府に反した明徳2/元中8年の明徳の乱では子の満範と共に氏清の首を取る戦功をあげ,自らは山名遺領のうち小浜を含む若狭国今富名を,満範は丹後(京都府)守護職を得た。明徳4年以降3度にわたって将軍足利義満を天橋立(宮津市)と小浜に迎え,応永2(1395)年義満に従って出家,信将と称した。死後は尾張長慶寺(跡地は知多市)に葬られたものと思われる。<参考文献>『小浜市史/通史編』上
(河村昭一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報