…清和源氏。足利氏の支族。足利泰氏の子公深阿闍梨が三河国吉良荘一色(現,愛知県幡豆郡一色(いしき)町)を所領とし一色氏をおこす。公深の子一色範氏は1336年(延元1∥建武3)足利尊氏の命により九州にとどまり,軍事指揮,行賞・訴訟の注進・実施などの権限を行使し,初代の鎮西管領(のち九州探題)となった。やがてその子直氏が代わって鎮西管領となり,範氏はこれを後見したが,九州諸豪族の抵抗が強く,父子は足利直冬党・南朝方と鼎立した末,南朝方菊池氏に敗れて56年(正平11∥延文1)から翌々年にかけて父子あいついで九州を退去して帰京した。…
…明徳の乱(1391)による土岐氏の失脚後,守護職には畠山基国,今川仲秋,同法珍らが任ぜられたがいずれも短期間で交代し,14世紀末の約10年間,国内には混乱が続いた。この時期,おそくも1391年(元中8∥明徳2)には,知多(智多)郡が尾張守護の管轄からはずされ三河守護一色詮範の下におかれた。また海東郡も同じころ分割され,山名某,結城満藤を経て94年(応永1)には同人の管轄下に入っている。…
…旧国名。若州。現在の福井県南西部。
【古代】
北陸道に属する中国(《延喜式》)。北陸道のうち,もっとも畿内に近い国。遠敷(おにゆう),三方(みかた),大飯(おおい)の3郡からなる。このうち大飯郡は825年(天長2)遠敷郡から分立して成立した。国司は守1人,掾1人,目(さかん)1人,史生3人からなる。国府の推定地は遠敷郡(現,小浜市内)。《延喜式》では,調としてアワビ,イカ,イリコ,スシ,イカイ,ホヤマゼズシ,カセ,ノリ,シオなどをおさめることになっていた。…
※「一色詮範」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...