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武寧王

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

武寧王

百済第25代王。在位501~523年。461年に九州沖の離島で生まれたとされ、即位後、朝鮮半島南部への領土拡大を推進。危機的状況にあった百済中興の主となった。1971年に韓国・公州王陵が発見され、墓誌や日本、中国との交流を示す遺物が見つかった。

(2015-05-01 朝日新聞 朝刊 奈良全県・2地方)

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世界大百科事典 第2版の解説

ぶねいおう【武寧王 Muryŏngwang】

462‐523
朝鮮,百済の王。在位501‐523年。諱(いみな)は斯麻(しま)あるいは隆。中国史書には余隆とある。475年の熊津(ゆうしん)(公州)遷都以後,百済はこの王代に至ってようやく一応の安定期を迎える。即位後まず前王東城王を殺害した加(はくか)を誅殺し,ついで高句麗による北からの圧力をくいとめ,南には加羅地方への支配権の確立をはかるなど,国力の充実につとめた。521年には梁より〈使持節・都督百済諸軍事・寧東大将軍・百済王〉の官爵号を受け,また日本に対しても,513年に五経博士を送るなど,活発な外交を展開している。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

武寧王
ぶねいおう
(462―523)

朝鮮三国、百済(くだら)の第25代王(在位501~523)。諱(いみな)は斯麻(しま)、斯摩(しま)。中国史書では隆と表記する。前王東城王の子とする説、異母兄とする説などがある。東城王が高官の(はくか)に殺害された後をうけて即位し、まず加を誅殺(ちゅうさつ)。熊津(忠清南道公州)時代(475~538)においては比較的安定した王代を築き、とくに外交に手腕を発揮した。高句麗(こうくり)および(わい)の侵入に対抗し、しばしばそれらを撃破。
 加羅地方への支配権の確立を図り、新羅(しらぎ)とも接近。また日本に対しても、513年に五経博士を送るなど友好的な関係をもった。512、521年(新羅使を随伴)には、中国南朝の梁(りょう)に使者を派遣。521年には梁より「使持節・都督百済諸軍事・寧東大将軍・百済王」に進号された。その子は聖王(聖明王)。[田中俊明]

武寧王陵

1971年に公州の中心から北西に約1キロメートル離れた宋山里の古墳群で、それまで知られていなかった古墳が1基偶然発見されたが、そこから「斯麻王」と記した墓誌(買地券)が出土したことにより、この王の陵とわかった。百済王の王陵で王名が特定できるのは、現在この王のみで、きわめて貴重である。王陵は、王妃との合葬墓で、直径20メートルほどの円墳。南向きの単室墓で、玄室は南北4.2メートル、東西2.72メートル、アーチ式の天井で高さ最大2.93メートル、(せんちく)である。墓室の構造や副葬品に中国南朝の影響が濃厚で、墓誌にも「寧東大将軍」を明記。梁との関係の緊密性を十分に裏づけている。[田中俊明]
『大韓民国文化財管理局編『武寧王陵』(1974・学生社)』

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