戦国時代、土佐国主長宗我部(ちょうそがべ)支配下の下級武士。中世の名主(みょうしゅ)の系譜を引く一種の農兵で、約2~3町の土地を所有し農耕に従事したが、鎗(やり)の柄(え)に草鞋(わらじ)、兵糧(ひょうろう)をくくりつけ具足とともに田の畔(あぜ)に置き、事あるときは軍役に服したのでこの名がおこった。馬一疋(いっぴき)で戦場を馳(は)せる長宗我部戦力の中核的存在で、元親(もとちか)はこれを地域ごとに「衆」として組織し、社寺造営など軍役以外にも動員した。関ヶ原の戦い後山内(やまうち)氏の入国にあたり一部の一領具足は浦戸一揆(うらどいっき)を起こしたが平定された。藩政時代には郷士(ごうし)、庄屋(しょうや)に取り立てられたが、多くは農民となって雌伏。幕末には彼らの子孫から勤王運動に挺身(ていしん)する者が出た。肥後細川藩、阿波(あわ)蜂須賀(はちすか)藩の一領一疋、薩摩(さつま)島津藩の外城衆(とじょうしゅう)などもこの類である。
[山本 大]
…【下村 効】
【近世】
関ヶ原の戦後,土佐24万石(朱印高は20万石)の国主となったのは,遠江国掛川の城主山内(やまうち)一豊である。一豊は1601年(慶長6)浦戸城に入ったが,それに先立ち,一領具足(兵農未分離の長宗我部氏下級家臣)たちが明渡しを拒否して抗戦し273名が討死する,いわゆる浦戸一揆が起こった。一揆後,長宗我部家臣団の上層部は出国,一領具足層は帰農して兵農分離が実現した。…
…上士のほとんどは,藩祖一豊に従って来国した家系を誇り,高知の郭中に集住した。郷士制度は,農民化していた一領具足(長宗我部氏の下級家臣)の子孫を,新田開発を条件に取り立てたことから起こり,野中兼山の執政時代に登用された初期郷士は1000人に及んだ。上士と下士の差別は根深く,幕末維新の政争にも反映した。…
※「一領具足」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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