朝日日本歴史人物事典 「三修」の解説
三修
生年:天長6(829)
平安前期の法相宗,真言宗の僧。「さんじゅ」ともいう。一説に昌泰3(900)年5月13日死去。京都の人。俗姓は菅野氏。出家ののち名山を遍歴し,仁寿年間(851~854)に比叡山などとともに七高山のひとつに数えられる近江国伊吹山(滋賀県坂田郡)の護国寺に入り,元慶2(878)年に同寺を定額寺とした。また伊吹山に長尾,弥高,太平の3寺を創建したと伝えられる。東大寺に属したが,宗叡に従って真言宗を兼学し,東寺供僧を勤めた。寛平6(894)年に維摩会(奈良興福寺の法会)講師となり,翌年に三会已講(維摩会,最勝会,御斎会の講師を勤めた者)の労によって権律師に任ぜられた。
(岡野浩二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報