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太田荘(読み)おおたのしょう

百科事典マイペディアの解説

太田荘【おおたのしょう】

信濃国水内(みのち)郡の荘園。現長野県上水内郡東南部から長野市北部にかけた一帯。近衛家領。1221年地頭職が島津氏に与えられ,その子孫が相承,政所(まんどころ)は神代(かしろ)郷に置かれた。島津氏の太田荘相伝系図によると田数340余町。また荘内大倉・石村両郷地頭職は金沢実時が有したようで,後に金沢称名(しょうみょう)寺に寄進された。1336年足利尊氏が大倉郷地頭職を島津氏に与えたため称名寺との間で相論(そうろん)となり,称名寺に返付されたものの島津氏の押妨(おうぼう)が続いた。また近衛家は1339年に領家職(りょうけしき)を京都東福寺海蔵(かいぞう)院に寄進したが,これも島津氏の押妨を受け,室町幕府による押妨人排除の命令も空しく周辺武士の侵略を受けて実体を失っていった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

太田荘
おおたのしょう

現在の長野市豊野(とよの)町のあたりを中心に、善光寺平(ぜんこうじだいら)北東部の低平な丘陵先端に位置した摂関家の荘園。田数340余町という大荘で、惣政所(そうまんどころ)のあった神代(かじろ)郷や津野、大倉、石村などの諸郷からなる。院政期の年貢は極上の麻布で、預所(あずかりどころ)から御倉町(おくらまち)別当を通じて京上され、宇治殿忠実(ただざね)の御覧を経て収納された。鎌倉期には島津忠久(ただひさ)や金沢実時(かねさわさねとき)が郷地頭となり、領家年貢は地頭請で代銭納され、島津氏の地頭得分は代官により薩摩(さつま)国元まで送進された。なお実時の地頭職はその後金沢称名寺に寄進され、南北朝期には島津氏の侵食にあい、また領家職は山城(やましろ)国東福寺海蔵院に寄進され、室町期には守護請となった。この間、在地では千曲(ちくま)川流域の自然堤防上の諸郷が開発され、薩摩島津氏から分立した信濃(しなの)島津氏の在地支配が進み、荘園組織は有名無実化した。[井原今朝男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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