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太田荘 おおたのしょう

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百科事典マイペディアの解説

太田荘【おおたのしょう】

信濃国水内(みのち)郡の荘園。現長野県上水内郡東南部から長野市北部にかけた一帯。近衛家領。1221年地頭職が島津氏に与えられ,その子孫が相承,政所(まんどころ)は神代(かしろ)郷に置かれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

太田荘
おおたのしょう

現在の長野市豊野(とよの)町のあたりを中心に、善光寺平(ぜんこうじだいら)北東部の低平な丘陵先端に位置した摂関家の荘園。田数340余町という大荘で、惣政所(そうまんどころ)のあった神代(かじろ)郷や津野、大倉、石村などの諸郷からなる。院政期の年貢は極上の麻布で、預所(あずかりどころ)から御倉町(おくらまち)別当を通じて京上され、宇治殿忠実(ただざね)の御覧を経て収納された。鎌倉期には島津忠久(ただひさ)や金沢実時(かねさわさねとき)が郷地頭となり、領家年貢は地頭請で代銭納され、島津氏の地頭得分は代官により薩摩(さつま)国元まで送進された。なお実時の地頭職はその後金沢称名寺に寄進され、南北朝期には島津氏の侵食にあい、また領家職は山城(やましろ)国東福寺海蔵院に寄進され、室町期には守護請となった。この間、在地では千曲(ちくま)川流域の自然堤防上の諸郷が開発され、薩摩島津氏から分立した信濃(しなの)島津氏の在地支配が進み、荘園組織は有名無実化した。[井原今朝男]

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