朝日日本歴史人物事典 「三善長衡」の解説
三善長衡
生年:仁安3(1168)
鎌倉時代の文士。西園寺公経の家司としてその興隆を築いた。父の算博士行衡の跡を受けて算道の長者となるとともに,公経の家司となって承久の乱(1221)では後鳥羽上皇の挙兵を幕府にいちはやく知らせ,また幕府軍の上洛を迎えた。その後は公経の「専一無双の者」と称されて主税頭や陸奥守となり,幕府,朝廷にもその活動はおよび,さらに日宋貿易をも手掛けて富は「陶朱の類」とうたわれた。出家して法名は理繆。長衡以後,三善氏は代々関東申次となって富と権勢を誇った西園寺家に仕えることになる。<参考文献>竜粛『鎌倉時代』,五味文彦『武士と文士の中世史』
(五味文彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報