三夜沢村(読み)みよさわむら

日本歴史地名大系 「三夜沢村」の解説

三夜沢村
みよさわむら

[現在地名]宮城村三夜沢

なえしま村の北部、赤城あら山の南麓に位置し、赤城山、大沼おの小沼このへの登り口である。赤城信仰の中心の社、赤城神社の所在地で、集落は同神社を中心に発達、耕地は江戸時代にはすべて赤城神社領であった。赤木文庫本「神道集」(上野国勢多郡鎮守赤城大明神事)に、無実のぬれぎぬを着せられて、勢多郡深栖ふかす(現粕川村)に流された高野辺の大将家成の若君が成人して上野国司となり、小沼の岸で父の亡霊に会い、名残惜しくて小沼の沢で三日間逗留した。それで三夜沢というようになったという地名説話が記されている。小沼の沢はかす川の上流、現在のたき沢の深い谷間をさしているらしい。三夜沢の名は赤城神社への戦国諸将の制札や書状に多出、永禄四年(一五六一)一二月二七日の上杉家制札(奈良原文書)では「妙沢小屋」における軍勢の乱妨狼藉を停止するよう命じている。同九年小田原の北条氏業が上杉氏の常陸下総への出陣の間に赤城山南麓地帯を手中にし、金山かなやま(現太田市)城主由良成繁に支配させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む