三崎城跡
みさきじようあと
[現在地名]三浦市城山町
北条湾を隔てて城ヶ島と対峙する台地上に立地し、宝蔵寺城・北条山城ともよばれた。平山城。城跡にはもとは土塁が存在していたが、現在は市役所・図書館・学校などが立並び、遺構は確認されない。築城年代は不明。
永正一〇年(一五一三)四月一七日の足利政氏判物(県史三)にみえる「三崎要害」は、おそらく当城のことと思われ、三浦氏の持城であった。三浦氏を滅ぼした北条氏は安房の里見氏と対立し、その押えとして、また東京湾岸の北条水軍の根拠地として当城を重視した。
三崎城跡
みさきじようあと
[現在地名]土佐清水市三崎
下ノ段から田ノ内に越える尾根の北峰にあり、「城ノ峰」と呼称する。城主は加久見左衛門大夫(左近太夫)と伝える。山頂の詰ノ段を中心に、北に一段低く二ノ段、南東下に三ノ段、その下に四ノ段を構え、堀切・石垣などが残る。加久見氏の本拠地は加久見村で、天正(一五七三―九二)の頃以南地方に勢力を振るった(→加久見城跡)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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