城ヶ島(読み)じょうがしま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

城ヶ島
じょうがしま

神奈川県南東部,三浦半島の南西端沖にある小島。東西約 2km,南北 200~500m。三浦市に属し,1960年三崎港と長さ 575mの城ヶ島大橋で結ばれた。標高約 30mの台地をなし,海岸は崖となっている。集落は北部にあり,南岸にはウミウクロサギが生息し,ガクアジサイスイセンの群落がある。埋立て地には,工場やビルが立並ぶ。西端の崖上に灯台があり,付近に宿泊施設,売店などが集って観光の中心となっている。城ヶ島大橋のたもとには北原白秋詩碑がある。

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百科事典マイペディアの解説

城ヶ島【じょうがしま】

神奈川県三浦市,三浦半島南端にある島。周囲約4km。幅約500mの水道を隔てて三崎港に対し,城ヶ島大橋がかかる。海食崖に囲まれた標高約30mの平らな台地で,北岸に漁業集落がある。16世紀三浦氏の家臣らが支配したといわれ,江戸時代にはアワビ漁などを行った。海食洞,北原白秋の詩碑があり,ハイキング,磯釣,海水浴などに適する京浜の行楽地として有名。
→関連項目三浦[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

じょうがしま【城ヶ島】

神奈川県南東端,三浦半島最南端にある島。三浦市に属する。対岸の三崎港との間は幅約500mの瀬戸で,城ヶ島が三崎港の自然の防波堤をなしている。東西約2km,南北500m,標高約30mの台地状の小島だが,東京湾口に位置することから,江戸期以来海防上重視されてきた。東端の安房(あわ)崎には1648年(慶安1)烽火台(のろしだい)が設けられ,1808年(文化5)には砲台が設置された。西端の長津呂崎には城ヶ島灯台があるが,ここも灯明台の跡地で,1870年(明治3)から洋式灯台に変わった。

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大辞林 第三版の解説

じょうがしま【城ヶ島】

神奈川県三浦半島南西端の台地状の島。城ヶ島大橋で半島と結ばれる。南端の崖はウミウの群生地。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔神奈川県〕城ヶ島(じょうがしま)


神奈川県南東部、三浦(みうら)半島の南端沖に浮かぶ島。面積0.99km2。三浦市に属する。標高約30mの台地状の島で、周囲に海食崖(かいしょくがい)が発達し、海食洞が点在している。三浦半島とは城ヶ島大橋で結ばれ、行楽地として知られる。北原白秋(はくしゅう)の歌碑や灯台、城ヶ島公園などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

城ヶ島
じょうがしま

神奈川県南東部、三浦半島の南端にある島。三浦市に属する。東西1.8キロメートル、南北200~300メートル、周囲約4キロメートル、面積0.99平方キロメートル。1808年(文化5)浦賀奉行(うらがぶぎょう)が江戸(東京)湾警備のため、東端の安房(あわ)崎に砲台を築き、また第二次世界大戦終了まで海軍の砲台があって要塞(ようさい)地帯となっていた。北原白秋の『城ヶ島の雨』の詩でここの風光が歌われてから一躍有名になった。1960年(昭和35)城ヶ島大橋が開通してから観光客が急増し、油壺(あぶらつぼ)、観音(かんのん)崎(横須賀(よこすか)市)とともに三浦半島観光の中心地となっている。島は岩礁で巡らされ、平らな台地状地形をなし、周りは切り立った崖(がけ)になり、海食洞も多い。ここはまた海の生物(とくに魚と貝類)からは相模湾(さがみわん)と浦賀水道との生息境界帯をなし、漁労用具がまた分界をなすことでも知られる。南側の崖はウミウ(県指定天然記念物)やクロサギの生息地として知られ、自生のスイセンは1月に開花する。西端の長津呂(ながとろ)崎には灯台があり、付近はホテル、食堂、売店が集中し観光拠点となっている。東部は県立城ヶ島公園になっており、また城ヶ島大橋の下に白秋詩碑がある。京浜急行電鉄三崎口駅からバスが通じる。人口635(2000)。[浅香幸雄]

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