日本歴史地名大系 「三嶽寺」の解説 三嶽寺さんがくじ 三重県:三重郡菰野町西薦野村三嶽寺冠峯山三嶽寺は、菰野町菰野の天台宗に属するものと、同町千草(ちくさ)の真宗大谷派に属するものとの二寺がある。享保五年(一七二〇)の土方氏家臣山中六郎兵衛書状写(「従御領主東叡山江御頼状之写」菰野財産区区有文書)によれば、三嶽寺の由来は下記のようである。三嶽寺を寺号とする寺院が近世初頭まで鈴鹿山脈国見(くにみ)岳の山頂下に存在したが、兵乱により焼失、江戸時代には跡が残るのみとなっていた。旧三嶽寺は薦野(こもの)三ヵ村との関係が深く、薦野側は三嶽寺のあった国見岳からその下方三郷立(さんごうだち)(現菰野富士)一帯を薦野地内の山とみなしてきた。寛文年間(一六六一―七三)に千草村ほか一七ヵ村との間でこの地をめぐる山論が起こり、同一二年薦野側の敗訴となって、旧三嶽寺跡を含めた地域は千草村に属することになった。宝永二年(一七〇五)薦野三ヵ村は延暦(えんりやく)寺の本覚院に対し、旧三嶽寺がその末寺であったことの確認を願出、翌年証文を得た。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by