改訂新版 世界大百科事典 「三橋会所」の意味・わかりやすい解説
三橋会所 (さんきょうかいしょ)
江戸の十組問屋を中心とする菱垣廻船積問屋仲間の会所。大坂と江戸を結ぶ菱垣廻船は,畿内産をはじめとする諸国物産を輸送したが,海難による被害が著しく,樽廻船との競合もあって,18世紀後半以降衰退しつつあった。菱垣廻船を支配していた江戸十組仲間は,大坂からの下り商品を独占的に扱っていたが,仲間外商人の台頭によりその地位が揺るぎはじめたため,問屋としての特権を権力によって保障されることを望むようになった。1809年(文化6)十組仲間は永代橋・新大橋・大川橋の三橋架替え・修復を引き受けることを申し出,幕府から会所を設立することを許され,頭取として杉本茂十郎(元,飛脚問屋大坂屋茂兵衛)が任命された。会所は問屋仲間や菱垣廻船の船頭・水主からの拠出金を運用して,船の修復・新造をはかり,仲間内の金融を行う一方,菱垣廻船を利用する問屋仲間65組から,年々1万0200両の冥加金を集めて幕府に上納した。会所の運営は杉本によるところが大きく,冥加金上納も彼の強要によってなされたが,さらに幕府の米価引上げ策に協力するため多額の差加金を問屋たちから集め,大坂・江戸で大量の買米を会所の名によっておこなった。これらの働きにこたえ,幕府は1813年冥加金上納者に対し株札を下付し,問屋としての地位を保障した。65組の問屋仲間はそれぞれ株数が固定され,株の譲替え以外に新規の仲間加入は認められないことになった。以後問屋仲間は,問屋を経由しない商品荷物を抜荷(ぬけに),打越荷物(うちこしにもつ)として厳しく取り締まることを主張し,仲間外商人をさかんに摘発した。買米によって莫大な損失を被ったにもかかわらず,杉本はさらに江戸の米会所の経営を十組持ちにすることをはかり,問屋仲間内部からも激しい反発を呼んだ。1819年(文政2)幕府の命により三橋会所・米会所は廃止され,頭取杉本は追放となったが,問屋による流通独占の特権は天保の株仲間解散(1841)まで続いた。
執筆者:林 玲子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報