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抜(き)荷 ヌキニ

デジタル大辞泉の解説

ぬき‐に【抜(き)荷】

運送中または保管中の荷物一部をこっそり抜き取ること。また、その

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百科事典マイペディアの解説

抜荷【ぬけに】

出買(でがい),抜買とも。江戸時代の密貿易をいい,またその取扱品をいった。鎖国下の外国貿易長崎会所が独占していたが,取扱品目など制限が強く,国内の需要に応じきれず,積戻し船などとの間に密貿易が行われた。
→関連項目長崎奉行

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世界大百科事典 第2版の解説

ぬけに【抜荷】

江戸時代の用語で,禁令を犯して取引すること,すなわち密貿易をいい,またその取り扱う品物をもいった。およそ次の二つの場合がある。(1)貿易禁制品の取引。外国貿易と国内貿易の場合がある。例えば武器は1634年(寛永11)輸出は禁止され,外国貿易での抜荷にあたる。俵物三品(いりこ,干しアワビ,ふかのひれ)は1785年(天明5)長崎会所以外の者が生産者から買うことは禁止されたので,それ以外の者と取引するのは国内貿易での抜荷である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

抜荷
ぬけに

江戸時代における密貿易。主として日本に渡来する外国人(オランダ、中国)との間で行われた密貿易であり、対馬(つしま)藩の者が朝鮮との間で行った密貿易は抜船(ぬけぶね)といった。抜荷は長崎貿易に対する幕府の統制が厳重になることと相応じておこったものである。1670年(寛文10)の抜荷禁令の初出のころには、唐・蘭(らん)船積荷入札参加商人の指定と商売高を限定するいわゆる市法により、貿易総高が抑えられ、さらに85年(貞享2)唐船の貿易総額銀6000貫以内、蘭船は5万両という定高貿易の開始により貿易が縮小されたため、貿易限度額を終えた時点で貿易未終了の唐船は積戻(つみもどし)船といって積荷の陸揚げを許されず帰帆せねばならぬということになり、とくにこの貞享(じょうきょう)令実施以降、抜荷が頻発するに至った。
 また薩摩(さつま)藩は幕府から琉球(りゅうきゅう)との貿易を公認されていたのを利用して、琉球国産物として唐物を輸入し、藩外売りさばきを禁止されていたにもかかわらず、長崎で売りさばき、あるいは俵物(ひょうもつ)(煎海鼠(いりこ)、乾鮑(ほしあわび)、鱶鰭(ふかのひれ))を新潟などで密買し、琉球船により中国へ送らせるなど一貫して抜荷を行っていた。抜荷の品としては、中国、オランダはともに貿易品として銅を強く求めていたことを反映して銅が多く、日本側は朝鮮人参(にんじん)、白糸、紗綾(さや)、綸子(りんず)、各種の薬などであった。幕府は一般の抜荷には死刑を含む厳刑をもって臨んだが、抜荷の相手である外国人には処罰を加えず、また薩摩藩のごとき大物を処罰しなかったため、幕末に至るまで抜荷を根絶することはできなかった。なお藩営専売下で、ひそかに特定商品を領外に持ち出すことも抜荷と称した。[沼田 哲]
『板沢武雄「鎖国時代における密貿易の実態」(『法政大学文学部紀要』7-1所収) ▽山脇悌二郎著『抜け荷』(1965・日経新書)』

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世界大百科事典内の抜(き)荷の言及

【株仲間】より

…株数は1995株に限定され,以後の新規加入は認められず,廃業者が出たときはその株を仲間内で預かり,組内で適当な者をみたてて譲り渡すという,きわめて特権的,閉鎖的な株仲間であった。以後,問屋を通さぬ売買に対しては,抜荷(ぬけに),越荷として摘発したり,生産地,集荷地の商人に対し,仲間外の者との取引をしないよう強制するなど,権力を背景に問屋による流通独占を主張した。これに対し,生産者や在郷商人,江戸市内の中小問屋・小売商の抵抗があり,訴訟が頻発した。…

※「抜(き)荷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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