江戸時代の用語で,禁令を犯して取引すること,すなわち密貿易をいい,またその取り扱う品物をもいった。およそ次の二つの場合がある。(1)貿易禁制品の取引。外国貿易と国内貿易の場合がある。例えば武器は1634年(寛永11)輸出は禁止され,外国貿易での抜荷にあたる。俵物三品(いりこ,干しアワビ,ふかのひれ)は1785年(天明5)長崎会所以外の者が生産者から買うことは禁止されたので,それ以外の者と取引するのは国内貿易での抜荷である。この場合および次の(2)の場合は抜買ともいった。(2)唐・蘭船との私的取引。公定の貿易資格を持たぬ者の取引と,正規の手続によらずに取引する場合がある。1671年(寛文11)から商人の長崎貿易への参加は,公定の有資格者が公定の場所で行うこととされ,それ以外の取引は抜荷であった。また唐・蘭船の輸入品は正徳新例(海舶互市新例)公布後はすべて,蘭貨は出島で唐貨は長崎会所で会所役人が値組と呼ばれる評価方法で買い取り,有資格の商人に入札させて落札者に輸入貨を引き渡すことになっていたから,この手続を犯して唐・蘭船と直接取引するのは抜荷であった。
幕府は1721年(享保6)日本人が外国に行ってする密貿易と,長崎その他国内でする密貿易とを区別し,後者は死刑を廃止して耳,鼻をそぐ身体刑とし,縁坐,連坐の制をも廃止したが,88年には老中筆頭松平定信の主導で寛刑方針を捨て,金・銀・銅銭を用いた密買者は額の多少にかかわらず死刑,10両以上の荷物を密買した者も死刑,また密買の再犯者をも死刑とした。しかし幕府は唐・蘭人には抜荷の刑罰を適用せず,また大名のような大物は抜荷犯として捕らえなかった。その好例は1711年(正徳1)の蘭船の長崎港外での抜荷である。幕府は確証を握り,翌年江戸へ参礼に出た商館長を詰問したが譴責(けんせき)にとどめ,一方,相手の日本人は捕らえなかった。75年(安永4)にも同様な事例がある。確証があるのに日本人の犯人を挙げなかったのは,事件の相手が〈御手入れの儀などは容易ならざる筋〉であったからで,幕府はあえて大名の責任を直接問おうとはしなかった。《長崎犯科帳》にみえる多くの抜荷事例は,むしろ庶民の小さな抜荷事例である。
執筆者:山脇 悌二郎
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江戸時代における密貿易。主として日本に渡来する外国人(オランダ、中国)との間で行われた密貿易であり、対馬(つしま)藩の者が朝鮮との間で行った密貿易は抜船(ぬけぶね)といった。抜荷は長崎貿易に対する幕府の統制が厳重になることと相応じておこったものである。1670年(寛文10)の抜荷禁令の初出のころには、唐・蘭(らん)船積荷入札参加商人の指定と商売高を限定するいわゆる市法により、貿易総高が抑えられ、さらに85年(貞享2)唐船の貿易総額銀6000貫以内、蘭船は5万両という定高貿易の開始により貿易が縮小されたため、貿易限度額を終えた時点で貿易未終了の唐船は積戻(つみもどし)船といって積荷の陸揚げを許されず帰帆せねばならぬということになり、とくにこの貞享(じょうきょう)令実施以降、抜荷が頻発するに至った。
また薩摩(さつま)藩は幕府から琉球(りゅうきゅう)との貿易を公認されていたのを利用して、琉球国産物として唐物を輸入し、藩外売りさばきを禁止されていたにもかかわらず、長崎で売りさばき、あるいは俵物(ひょうもつ)(煎海鼠(いりこ)、乾鮑(ほしあわび)、鱶鰭(ふかのひれ))を新潟などで密買し、琉球船により中国へ送らせるなど一貫して抜荷を行っていた。抜荷の品としては、中国、オランダはともに貿易品として銅を強く求めていたことを反映して銅が多く、日本側は朝鮮人参(にんじん)、白糸、紗綾(さや)、綸子(りんず)、各種の薬などであった。幕府は一般の抜荷には死刑を含む厳刑をもって臨んだが、抜荷の相手である外国人には処罰を加えず、また薩摩藩のごとき大物を処罰しなかったため、幕末に至るまで抜荷を根絶することはできなかった。なお藩営専売下で、ひそかに特定商品を領外に持ち出すことも抜荷と称した。
[沼田 哲]
『板沢武雄「鎖国時代における密貿易の実態」(『法政大学文学部紀要』7-1所収)』▽『山脇悌二郎著『抜け荷』(1965・日経新書)』
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江戸時代,幕府の貿易規制下の密貿易や藩専売制下の密売買など,正規の手続きによらない私的な取引およびその品物をいう。幕府の対外貿易における諸統制,すなわち輸出入禁制品,来航船の取引額や取引方法などの制限に対して,彼我商人の貿易欲求が抜荷を行わせた。とくに1685年(貞享2)唐船の定高(さだめだか)(年間取引額)を制限し,残り荷の積み戻しを命じて以降,密貿易が長崎とその近海で頻発した。そのため幕府は防止策として,89年(元禄2)唐人の市中雑居を禁じ唐人屋敷に収容して監視を厳重にし,また九州・中国・四国筋の諸大名に命じて海上での取締りを強化したが,幕末に至るまで後を絶たなかった。
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…株数は1995株に限定され,以後の新規加入は認められず,廃業者が出たときはその株を仲間内で預かり,組内で適当な者をみたてて譲り渡すという,きわめて特権的,閉鎖的な株仲間であった。以後,問屋を通さぬ売買に対しては,抜荷(ぬけに),越荷として摘発したり,生産地,集荷地の商人に対し,仲間外の者との取引をしないよう強制するなど,権力を背景に問屋による流通独占を主張した。これに対し,生産者や在郷商人,江戸市内の中小問屋・小売商の抵抗があり,訴訟が頻発した。…
※「抜荷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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