日本の城がわかる事典 「三芦城」の解説 みよしじょう【三芦城】 福島県石川郡石川町にあった城館。平安時代末期から戦国時代にかけて、石川郡を領有していた石川氏の居城。阿武隈川の支流の今出川流域の愛宕山にあった山城(やまじろ)である。平安時代末期に、摂津国の源有光(石川有光)が陸奥国石川庄に移り住み、居館を設けたのがその起源とされている。三芦城はその後、石川氏25代500年間の居城となった。石川氏は鎌倉時代に大きく勢力を広げたが、室町・戦国時代には衰退し、白河結城氏に従属していた。また、1563年(永禄6)には伊達晴宗の子昭光を養子に迎えたり、常陸国の佐竹氏に従属するなど、近隣の有力勢力の狭間で生き延びてきた。1589年(天正17)に伊達政宗(まさむね)が蘆名氏を滅ぼすと、当主の石川昭光は政宗の叔父にあたる関係から政宗に臣従した。しかし、1590年(天正18)の豊臣秀吉の奥州仕置で領地と城を没収され、その後間もなく三芦城は廃城となった。城と領地を失った昭光は伊達氏家臣となり、後に伊達家家臣筆頭として2万1000石の伊具郡角田城(宮城県角田市)の城主となった。三芦城は主郭と西館、それを取り巻く小曲輪(くるわ)からなる縄張り。主郭以外の城域は現在、ほとんど山林となっており、遺構の確認は困難だが、主郭跡は和気神社の境内となっており土塁が残っている。JR水郡線磐城石川駅からバスで古町下車。◇石川城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報