日本大百科全書(ニッポニカ) 「三草藩」の意味・わかりやすい解説
三草藩
みくさはん
播磨(はりま)国(兵庫県)多可(たか)、加東(かとう)、加西(かさい)、美嚢(みなき)4郡33か村に1万石を領した譜代(ふだい)大名丹羽(にわ)氏の藩。1742年(寛保2)丹羽薫氏(しげうじ)が入部、加東郡上三草に陣屋を構えて立藩。領内は山地にかかり、山年貢や茶・藪(やぶ)の役年貢を上納する所が多く、加古川の水運を利用して商品が流通された。丹羽氏は江戸に在府して幕府の役職を勤め、知行地(ちぎょうち)には家臣を派して治めた。氏栄(うじひで)、氏福(うじよし)、氏昭(うじあき)、氏賢(うじまさ)、氏中(うじなか)と継いで廃藩置県に至る。1871年(明治4)三草県となり、姫路県、飾磨(しかま)県を経て76年兵庫県に編入された。
[小林 茂]